千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

来る道、行く道 <錨を揚げて、帆に春風>

火垂るの墓』という戦時中の空襲による子供達の涙を誘う映画があった。
野坂昭如が小学校の時、妹を栄養失調でなくした体験が元になっている。

先週こんな事を知った。

野坂「日々衰えてゆく妹を介抱し、やっと手に入れた食べ物を口に含み、
噛んで口移ししてやろうとしたのだが、自分の喉へいって呑み込んでしまう」

それほど人々は飢えていただろうし、まして育ち盛りだった子供の野坂には
耐えがたい衝動にそうならざるを得なかったのだろう。
目前の幼い妹を“見殺しにした”という痛恨が彼の人生を貫いていたという。

父がやはり小学生時代のこんな事を告白していた。

「学校から帰ると母がおやつに水蜜桃を二つ、弟と分けて食べるようにと与えてくれました。見ると一方はまるでほんのりと紅をつけた少女の頬のように熟していて産毛がかすんだように生えています。見ただけでも涎が出るようなのに、他方はまだ青くてしかも小さいのです。私は当惑しました。どうしてもいい方を取りたい。誰も見ていないので、叱りも褒めもしません。
どちらを食べようかと幼心にさんざん思案したあげく、当時抱いていた道徳観に従って、いい方を弟に残しました。
しかし、なんだか心残りでしたし、後で弟がそんな“因縁”つきの桃ともしらず、立派な桃を何の感興もなく食べているのを見て、つまらぬ事をしたと感じました」

    

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孔子の子孫の孔融は、七人兄弟の六番目の子だった。兄達とともにナツメや梨を食べる時、いつも小さいものをとるので、大人達が訳を聞くと、
私は小児です、小さいのを取るのが当然です、と答えたという。
この幼い孔融の爽やかさに比べ、私のは何とみみっちいことか」と。

ある人はこんな事を告白している。

「学生時代、親友と女友達Mとでよく遊びにいっていた。友と私は両の膝枕をしてもらった。酒で酔った後は、M女は柿をむいて僕らに食べさせてくれた。
友は特にM女が好きなようで、仕草ですぐに察せられた。おまけに、愉快な彼の哀しい心も知っていた。友の母親が別の男と結婚したからだった。
結局、彼の恋は実らず、私の恋も消えてしまった。くわえてまずいことに、魅惑を振りまいたM女は私たちがスキーにも一緒してくれなくなって悲しんだ」
「その友人は立派な研究を残して、若くして死んだ。
おい、Mが好きなんやろ、結婚しろや!とも云えなかったことも
三人誰もよき実りをもたらさなかった智慧のなさもくやまれる」と。

ブータンへ行った時、人々の笑顔に感じたことがある。
“この世の諸々は、互いにいいことも迷惑もかけ合いながらいきるのです、
そういうものなのです”
まるで優しい春風のように慰めてくれる。

春風を帆に受けて、マルコ舟はどこへ行くのだろか?