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千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 富の托かり方 35  <  安宅彌吉  >  

 
学生時代のあるとき、安宅彌吉と、西田幾多郎鈴木大拙
こう語らったそうです。

 「おい、将来なにしたい?」
 「おれは、日本の思想を西洋に伝える」
 「わしゃは、西洋の思想を日本に」
 「さよか、あんたら金にならんことする。
  よし、おれは銭屋五兵衛のように金儲けする、まかしとけ」

この三人は、以後ずっとまるで一体のごとく活躍しました。
経済面では安宅(1873-1949)が大商社安宅産業を興して支え、
心の支えは残りの二人がしたのでした。

安宅は神戸では、伊藤忠兵衛とともに甲南学園の創立に大きく貢献しました。
現在の甲南中学・高校、甲南大学甲南女子大学です。

 

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              安宅彌吉  <神戸 小磯画伯 画>



そのほかにも大拙を慕い、深い関係を結んだ人々の中には、
実業家も少なくありません。

野村洋三(1870-1965 横浜のホテルニューグランド会長)
出光佐三(1885-1981 出光興産社長)
松永安左右衛門(東邦電力社長)
松方三郎(共同通信社長)
檜原良一郎(古河鉱業社長)
畠山一清(荏原製作所社長)
外国人ではコーネリアス・クレーンなど多くの実業人がいます。

生涯を通して、あるいは長い年月の間、外護者(ゲゴシャ)
(自身の財を学術・文化振興の為に寄附する者)としてという以上に、
誠心誠意、さまざまな仕方で大拙の働きを援け、
大拙のために尽くした人々がいました。


大拙老師の“自由人”としてはごく自然なことなのでしょう。
若い頃に参禅して、この世の成り立ちを悟り、
思考から来る二元論、例えば「自分と他人」から開放されるすべを
心得ていたからです。

安宅も大拙老師も大勢の人々も、出会う命運の人であり・定めであり
絆で引き寄せられる人々だったでしょう。
これを日本語の『よい仕合わせ』というそうです。