千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

富の托かり方 40  <スティーブ・ジョブズ安藤百福>   


マレーシアの宿舎で、スティーブの本を見つけました。
6センチと分厚くて重し替わりによい立派な本なのです。

それをマレーシアのピリ辛インスタントラーメンをすすりながら見ました。 

      

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スティーブ・ジョブズ  Steve Jobs
自宅からスタートしたアップル社は、シリコンバレーを代表する企業としてサクセスストーリーを築いた。1980年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った

独断専行の立ち居振舞い、尊大な態度、突然の思いつきいよる変更等で     周囲との軋轢が絶えなかった。


満瑠壺の友は、人の気落ちが分からぬ発達障害の一つだと言い切った。
  ん、そりゃわたしのこと??

しかし
「違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げるための充分な能力がありました。・・・スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えました」<バラク・オバマ

その通りである。満瑠壺はアイフォンもスマートフォンも持っていない        シーラカンスだけどね、。


かたやすすっているラーメンの発明者、
安藤 百福 は失意の底から立ち上がり、48歳で事業を起こしました。
人生に遅すぎるということはありません。

即席ラーメン開発は彼が敗戦後、悲惨さを体験したからです。
食糧難となった日本で、おなかをすかせた人々が街にあふれ、
栄養失調のために行き倒れになる人が後を絶ちませんでした。

この光景を見た百福は「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、
芸術も文化もあったものではない」と食の大切さを痛感しました。

大阪駅近くの闇市を通りかかった百福が目にしたのは、
寒空のもと、1杯のラーメンを食べるために並ぶ長い行列でした。
百福は日本人が麺類好きであることを改めて実感したと同時に、
この行列に大きな需要が隠されていることを確信したのです。

百福はすべての財産を失い、残ったのは大阪府池田市の借家だけでした。
闇市のラーメン屋台に並んだ人々の姿と、
日本人が麺類好きであることを思い出し、
"お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメン" を作ろうと決意。
無一文の生活から這い上がるため、長い間あたためてきた
イデアの実現へ向けて、第一歩を踏み出しました。

インスタントラーメンの開発の苦労を辿るには
発明記念館が最適です。  子供さんとどうぞ


http://www.instantramen-museum.jp/jp/

「人にとって一番大事なのは創造力であり、
発明、発見こそが歴史を動かす」 <安藤百福


今回の各国を巡った時、
すべての若者がスマホを持ち、ラーメンを食っていました。

       

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前者は、コウあればいい世界を描き革命を起こし
後者は、温ったかな心を工夫に変えて、世界に普及させました。

東洋と西洋の違いがあるにしろ、どこでも出くわすことなのです。