来る道、行く道 < 巡り会い >
雪の金沢、郵便局で
「お茶が入りました」と
湯気たつ番茶がそっと差し出された。
「わたしども結婚することになりました」と
若いひと達がつたえ送るお慶びのことば。
ベトナムの結婚
こうしたものいいに、奥ゆかしさを感じるという。
深みや品位を感じさせるのは、ことばの裏に
「自分の意志だけではなく、自然の力も働いている」
深い敬虔さと心遣いを込めているからだと、
満瑠壺の直観深い友人、佐藤氏がみぬいてくれた。
そして
「自らと自ず(オノズ)からの境目、
自分の意志以外に大きな恵みがそこにある」と
気づいている聡明さをも包み込んだ言の葉だとか。
「いかにも日本的である。大和言葉の真髄を感じる。
これを、“あわい”という。 もの・人・事のあいだがらをいう。
更にそこから機会であるとか、塩梅なども色づけされる」
金沢生まれの鈴木大拙は言葉の持つ意味を深く理解して、
東洋と西洋を結びつける偉業を成し遂げた。
生徒時代に疑問に思ったことがあるという。
「西洋では“犬は四本の足を持つ”という。
私たちは“犬は四本足”というのが普通だ」
西洋では自分と客体つまり別物に分け隔てて、
多くの物事を二分化する傾向があるという。
だから、主語をいつも私とし、自分・自分となる。
自分は自らを分け他をつくりあげてしまう。
犬が対価を払って、足を所有しているのではない。
大いなる自然が四本も足を与えたもうたのだ。
日本的なものとして『仕合わせ』がある。
蛇君もグロッキーだし・・・
もともと、『めぐり合わせ』の意味で、『しあわせ』は
いい意味にも悪い意味にも用いた。
偶然めぐり合ったよい運命も、そうとは思えない運命も、
『しあわせ』だった。
“よい仕合わせ”は、なにか間がいい、運がいい恵みなのだから、
“幸福” の意味になった。
時とともに、不可思議で縁起がよい巡り合わせを
『仕合わせ』と表現した。
佐藤氏の“あわい”と同じで、
自然の大きな力のお陰でという、
日本人の自然への畏敬と一体感が洋々とひろがっている。
まあ 一服