千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

「自分を愛する樹」の実二つ  養眞-4

    f:id:Mtatibana:20170912054342j:plain

                    滋澍  

https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=32017000030&GroupCD=0&no=74&brandrm=True&brandrf=True


弓の倶楽部でとても巧みな男がいました。
その友人がマルコの枕元に訪ねてきてくれたのは、
そう三十年も前のありがたい想い出ですねん。

 

友は高校のやんちゃもんで、
東京でカメラを企画設計し、大ヒットさせたんです。

 

その面影残る顔を見ながら
「遠いとこからすまんなぁ」とねぎらうと
「いや、東京へわざわざ会いに来てくれたことあったやろ」
と軽やかにいってのける。

 

その顔に一筋の影がなんだか感じられたんです。
「あんなぁ、息子、あれてなぁ・・・」

 

きっと短い一言に万感を込めていたのですねぇ、
しばらくして、みずから命を絶ってしもた。

 

         f:id:Mtatibana:20170912054316j:plain

 

友のこころの重荷を持ってやれませんでした。

 

 

『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい』
            新約聖書マタイ伝22章

よくご存じの愛神愛隣です


限界の状態で人々は、

 

    戦艦の沈みゆくとき
      おのが身を
    助けんと戦友を突き落とすとき
              朝日歌壇

という本能に沿った悲痛な反射行動をします。

 

けれども、暮らしでは間がありますから、
悲痛を糧として吸い上げ、実をならせます。

 

思うがままに入学できなかった悲しみ
思うがままに出世できなかった悲しみ
無視され顧みられない孤独
けなされ罵倒される悔しさ
どっつかれて抵抗できなかった惨めさ

 

思うがままに子が育たなかった悲嘆
病の苦痛と不安や焦り
経済破綻で借金に追い立てられる苦しみ
思うがままに愛されない悲しみ
思いとは裏腹に老いゆく悲しみ

 

仕打ちを感じ、落ちこんでやけ道や
仕返しの暴路へ迷い込むものですわ。

 

けれども、多くの人は悲しみのゆくてに
本物の憐れみの虹を見ます。

 

   f:id:Mtatibana:20170912054752j:plain

         http://blog.sina.com.cn/u/1829608794

 

同情とか憐れみは余裕ある立場からの
優越感が潜んでいるもんです。

 

人生にこころの巾や深さが育ったお人は
想像力が豊かになって、同苦の憐れみやら
惻隠の憐れみが目覚めてきます。


離婚、破産、監獄を経験して人生が分かる
・・・といいますやろ、
こんな体験から生まれる同苦の憐れみが一ぅつ。

自愛するが故、磨いて熟成した自分から芽吹く
想像力とともに育つ憐れみが二ぁつめ。

 

これが、自分を愛する樹の実りなんでしょうな。


マルコは友のこころ内を察せっず、
友は苦海で溺れてしまいました。

 

体験は結構しんどいんでねぇ
後者を深めたいものですなぁ