滋澍
弓の倶楽部でとても巧みな男がいました。
その友人がマルコの枕元に訪ねてきてくれたのは、
そう三十年も前のありがたい想い出ですねん。
友は高校のやんちゃもんで、
東京でカメラを企画設計し、大ヒットさせたんです。
その面影残る顔を見ながら
「遠いとこからすまんなぁ」とねぎらうと
「いや、東京へわざわざ会いに来てくれたことあったやろ」
と軽やかにいってのける。
その顔に一筋の影がなんだか感じられたんです。
「あんなぁ、息子、あれてなぁ・・・」
きっと短い一言に万感を込めていたのですねぇ、
しばらくして、みずから命を絶ってしもた。
友のこころの重荷を持ってやれませんでした。
『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい』
新約聖書マタイ伝22章
よくご存じの愛神愛隣です
限界の状態で人々は、
戦艦の沈みゆくとき
おのが身を
助けんと戦友を突き落とすとき
朝日歌壇
という本能に沿った悲痛な反射行動をします。
けれども、暮らしでは間がありますから、
悲痛を糧として吸い上げ、実をならせます。
思うがままに入学できなかった悲しみ
思うがままに出世できなかった悲しみ
無視され顧みられない孤独
けなされ罵倒される悔しさ
どっつかれて抵抗できなかった惨めさ
思うがままに子が育たなかった悲嘆
病の苦痛と不安や焦り
経済破綻で借金に追い立てられる苦しみ
思うがままに愛されない悲しみ
思いとは裏腹に老いゆく悲しみ
仕打ちを感じ、落ちこんでやけ道や
仕返しの暴路へ迷い込むものですわ。
けれども、多くの人は悲しみのゆくてに
本物の憐れみの虹を見ます。
http://blog.sina.com.cn/u/1829608794
同情とか憐れみは余裕ある立場からの
優越感が潜んでいるもんです。
人生にこころの巾や深さが育ったお人は
想像力が豊かになって、同苦の憐れみやら
惻隠の憐れみが目覚めてきます。
離婚、破産、監獄を経験して人生が分かる
・・・といいますやろ、
こんな体験から生まれる同苦の憐れみが一ぅつ。
自愛するが故、磨いて熟成した自分から芽吹く
想像力とともに育つ憐れみが二ぁつめ。
これが、自分を愛する樹の実りなんでしょうな。
マルコは友のこころ内を察せっず、
友は苦海で溺れてしまいました。
体験は結構しんどいんでねぇ
後者を深めたいものですなぁ