心は大切ではないです
厄介者です。
古来、
http://yaemugura.hatenablog.jp/entry/lateautumn
と懺悔に詠います
ために、目をそらそうと享楽に逃げたり
薬物など数あるアラカルトメニューの
依存症を選び採ります。
“ 心はものにしたがいてうつりやすし
・・・
かなしきかな、かなしきかな
いかがせん、いかがせん ”
と、上人と畏敬された法然さんでさえ
悲嘆の心情を懺悔慟哭されているのです。
幼い頃、父を殺された恨みの心も
潜んでいたに違いありません。
ある智慧者の机の上に詠み人知らずの歌がありました。
http://ele-middleman.at.webry.info/200910/article_16.html
“ 孫と寐て 心の刺の 落ちし朝
セントポーリア ひとつ咲き初む ”
私ども凡人は、ともすれば恨みとか責めのこころ、
驕りや、金銭や名誉欲に振り回されて苦悶します。
そのこころのありようを正視できるが故の
どうしようもない悲しみ。
生きているからこそともいえるのですが
人は自らが見えるほどに、
悔恨の涙が増え、一滴が大海となり、
舟は浮かんで進むのです。