千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

涙の海を舟進む  養眞-7


心は大切ではないです

 

厄介者です。

 

古来、 

 

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               http://yaemugura.hatenablog.jp/entry/lateautumn

 

と懺悔に詠います

 

ために、目をそらそうと享楽に逃げたり
薬物など数あるアラカルトメニューの
依存症を選び採ります。


“ 心はものにしたがいてうつりやすし
        ・・・
   かなしきかな、かなしきかな
    いかがせん、いかがせん ”

 

と、上人と畏敬された法然さんでさえ
悲嘆の心情を懺悔慟哭されているのです。

 

幼い頃、父を殺された恨みの心も
潜んでいたに違いありません。

 


ある智慧者の机の上に詠み人知らずの歌がありました。

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     http://ele-middleman.at.webry.info/200910/article_16.html

 


“ 孫と寐て 心の刺の 落ちし朝
      セントポーリア ひとつ咲き初む ”

 


私ども凡人は、ともすれば恨みとか責めのこころ、
驕りや、金銭や名誉欲に振り回されて苦悶します。

 

そのこころのありようを正視できるが故の
どうしようもない悲しみ。

 

生きているからこそともいえるのですが
人は自らが見えるほどに、
悔恨の涙が増え、一滴が大海となり、

 

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舟は浮かんで進むのです。