千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 精一杯     養眞-12 :金沢

 

会社で席を長年温めたせいもあって、
マルコは効利的に生きてしまっている。

効率を求めるため短い時間と少ない資源で
できるだけ成果をあげることに専念したのだ。

 

   

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            格好いいなぁ トテモトテモ及ばん・・・        

 


あるときは睡眠時間を削り四時間にして
たくさんの仕事をこなす試みをした。

あげくの果て疲労困憊して休み、総じて見たら
何のことはない効率がた落ちだった。

 

 

さて、ここ金沢で心地いいことの一つに
地元人のゆとりの笑顔である。

 

ある日、南郵便局に母宛の郵便物を出しにいった。
顔を覚えてくれたのか、
「風景印ですね、心を込めて押しときます」と
顔をほころばせて受け取ってくれた。

 

以前押しているのを遠目で見ていたら、
席に姿勢を正して座り、両手でジンワリコっと狙いを定め
それこそ腕のよい職人さんのように手際よくも
一気呵成に押していた。

  

じつは、ここ数年大拙館に通っていて
気づいたことがある。

“ 今、ここで  ”  を頻繁にいわれていたが、
ハタと膝を打つ程ではなかった。


修行の中で、雲水(修行する人々)に食事を供養する典座(てんぞ )
人格円満、道心の篤い人に与えられる名誉職だという。

 

普通は飯炊き権助とかいわれて、どちらかというと
軽んじられる日常茶飯事のことだ。

 

ところが全く違った。

心を磨く精進は、なにかしら山のあなたの遠くにあらず
誰にでもある日常にあるというのだ。

大切な空気がそこにあるのと同じく
精進は今ここ、自分のいるところにあった。

  

調理を日々重ねている主婦(主夫)は
生き物としての身や心を健康に保つ最重要な仕事を
授かっているのである。

 

手元にある材料を手間をかけ、
健康ですくすく育てと心を込めて
乏しい中、工夫して創り上げる。

 

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            身に栄養  心に豊かさ

 

これほど貴い仕事があろうか。

差し出されたいのち育む食事を
どうしておろそかに出来ようか。


この眞実を腑に落とすと、何の変哲もない
むしろ繰り返しの単純作業、味気ない
無駄とみていた時間はガラリと変貌する。

 

どんな “ いま ” もなんと輝きに充ちることか。

だから、郵便局の若い兄ちゃんは輝いていた。


人生の歩みは、ゴールのためにあるのではない。
いいかえますと、結果や成果だけを第一とする
効利は会社の目的であっても、人の目標ではないと
今更ながら気づいたのだ。

 

 

ひとたび意識が変わると、刻々なす行為は
砂漠に清水が湧き出るように意味を持ちはじめる。

 

忙しいといういらだたしさは消えうせ
多くの先人がさとしてくれるように
その道すがらの気づきや悟りが楽しみとなる。


ひとは草を見て、これは野菜あれは雑草と
勝手に区分けし、雑草を嫌う。

マルコは事を見て、これは重用、あれは雑用と
無知なことに、雑用を手抜きしようとした。

 

 

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             これ  マルコだけ

 

 

今,この時は二度とはこない。今から
どんなこともまごころで仕上げよう。

きっとこれが一段上の
精一杯の仕事なのだろう。


        今のみぞ
         まごころ味の
        奥ふかく    

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