少年時代におなじ中学校へ通っていた
同窓生が三人いました。
どうしてか分からないですが、
卯月桜の朝、め醒めたら
その情景が浮かびました。
きっと呆ける前に記しとけとのお沙汰でしょう。
∞
負けず嫌いのKI君、いつも和やかなU君、
ユニークなKU君、そしてケロリのマルコ四人はよく連れだっていた。
四人の親宅はそれぞれ、二百から三百メートルの近所だった。
高校生二年になると、さかな座のマルコはそれまでの遅れを
取り戻すかのように背が伸びた・・・
人といつも比べて頑張るKI君はズボンを思いっきり上げて、
つま先立つように歩き、マルコと並んで歩く時は
道の中央側をいつも好んだ。
競争心などどっか置き忘れたマルコは、それをほほえましくも
「がんばりやぁ」って譲っていた。
おなじ生物部に入って、KI君は研究や発表をなんと英語弁論大会でやってのけ
優勝するがんばり屋だった。もちろん頭ん中の構造も最先端CPUで、成績よかった。
ある夕暮れ彼は道のまんかな、マルコは溝近くを歩き家路についていた。
その時だった、向こうから棒きれを持ていかつく歩いている
五人の男がやってくる。
殺気ほどでもないが、いってこましたろか!という雰囲気を感じて身構えた。
案の定、路地に引き込まれ乱闘がはじまる。
この時真っ暗になっていて、目のよいマルコも一体誰に殴られて、
どいつを蹴飛ばし殴ったか分からない。
KI君とようやく難を逃れた時、ほっと顔を見あわせて笑ったことを覚えている。
殴ったり殴られたりすることはガキの頃から慣れているため、
二人は青アザやコブシの擦り傷を確かめあって無事を祝いあった。
帰宅後、母は背中のひどいアザを見つけて驚いていた。
U君はマルコとおなじくらい小柄だったが倍以上の脳みそがよかった。
性格もほっとさせるものがあった。
母の作ってくれる弁当はいつも旨い旨いって食べていたけれど、
ある時U君がサンドイッチを交換してくれ、その夕方自宅で、
一度だけ不満を言ったことがある。
「U君とこのサンド分厚いわぁ、パンの間にハムやら卵焼きやら二㎝以上もある」
貧乏なわが家ではジャムかバターで十五㎜が上出来だったのだ。
悲しげな顔に今でも母上に「スンマセン」と謝ることがある。
KU君は母上がよく留守にするので、訪問すると喜んでくれた。
彼の特技は料理。 バターをたっぷりフライパンに溶かして
卵を放り込んで焼いてくれる。貴重品だった胡椒をふんだんに
味付けして食わしてくれる。
今でもそのレシピを利用している。
KU君は転校して東京の学校へ行き大手建築会社へすんなり入った。
U君KI君は成績優秀で期待され、京都大学を受験した。
皆がそうだろうなとうなずく選択だった。
マルコは成績可もなく不可少し(地理28点など多数)で、
そりゃちょっと無理やでぇという学校を選んだ。
選んだ訳は、おなじ市内にあるより、違った都市の学校がいい!
というまったく不届きなわがままからだった。
天はへそ曲がりだった。折り紙つきの二君はなんと不合格、
まさかというマルコがパスした。
人より劣って見えることを極端に嫌うKI君はそれ以降マルコの前から消えた。
和やかなU君は、てらうことなく、「緊張しすぎる傾向を治すために
、学生運動のリーダになりました」と自己変革に精出して、
なんと北海道の過疎地域のお医者になった。
マルコは偉いやっちゃなぁ!と感心した。
何十年も前、友人が「おい!まるこ、U君な医者の高額所得者やで」といった。
そうか、それだけ皆に有り難がられたんやなぁと拍手したものだった。
KI君は大手の会社に入社して、第二組合を作って名を上げたようだけれど、
その後誰にきいても消息が分からない。こころがわかるだけにそっとしている。
∞
少年から学生時代の活き活きしていた頃、
仲間は屈託なく刺激し合って社会へ飛び立ったのです。
沢山の友がこの世にすでにいない---いたとしても
その足どりは千変万化でありましょう。
そして、だれしも同じような記憶があるはず。
もし会えることがあれば、その道すがらの苦しかったこと、
転じた深い学びを尋ねてみたいものです。
あと何回