千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

Tradeからtra道へ

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        ハワイ ビッグアイランド
       ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

学校を出て就職し、社会をきょろきょろ観察して
決めたことがある。

 

一生懸命仕事に打ち込んで、腕を磨く。

それに加えて、貯金したものを金融資産に換えて増やすという
あくまでも生活の経済面での方針だ。

 

祖父の兄は日本でも結構有名な相場師だったから、
日常時折そんな話を聞いて育った。
おまけに母の父は女学生の娘つまりマルコの母に
株式の使い走りを結構させていたらしい。

 

理学・工学関係の専門だったマルコには
経済なんてからっきし分からない謎分野だ。


一念発起したのはいいけれど、毎日配達される
日経新聞を読んでもちんぷんかんぷんだった。

先輩の助言で「実際に株でもやってみぃ、すぐ分かる」

 

で残業もそこそこにして寮で学び
株式投資をおっかなびっくり始めた。
そうした甲斐もあって三年後に
年間所得の十三年余りの利益を上げた。


けれど若さの至り、暴落にあってあれよあれよと
見る間にぜろとなった。

 

狐につままれたように、また愕然となったときに
母はガンで死にかけるし、それに追い打ちをかけるように
結婚をせかされて形だけ素直にしたがったのが後々道を大きく変えた。

 

自由になった30歳代で、不動産を勉強して波に乗った。
日本に九つのマンション部屋を買い、米国でも一部屋かった。
不動産バブルで見る間に評価益は膨らみ、満悦の海に漕ぎ出した。


と思うまもなく、弾けた。
早い目に売り払った四物件はとてつもない短期譲渡課税を受け、
残りは1/5や1/10に暴落。   ローンだけは変化なく残った。

 

友人達が知恵を授けてくれて、サービサーへの資産売却を待って、
借金を全部相殺してくれた。

 

 

50-60代で商品高騰の波に乗った。五十代始めに退職して、
生き方を変えたが、資産をかなり貴金属に換えていた。
それが2008年に最後の高騰を迎えた。

 

今でもあの感覚が蘇る。
「神さんはこんなこと許してくれるんやろか?」
毎週1000-2000万円ほど評価益が増えるからだった。

もちろんすぐ後にリーマンショックの大暴落で大けがをする。
評価益は六億からゼロになったのだ。

 

 

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そして今、なにもせずに世界の金融資産大暴落を待っている。
ここ十年以内には必ずといっていいほど起きるであろう。


ある医院の待合室のあった漫画にこうあった。
『雨乞いを百パーセント成功させるには
 雨が降るまで雨乞いを続けること』

けだし名言である。

人は待てないのである。
すぐ自分のつごうに天を合わせさせようとする。


tradeすると人々はいう。

売買取引、商い、通商、交換の意味でつかう。


金融市場では奪い合いの様相がみられるから、
孫子の兵法を心がけないと食い物にされる。

 

それに体験からするとそれは自分磨きの
いわゆる“道”である修行的要素がある。


結局のところ強欲に駆られての売買は最終破綻する。

いかほどに、ここちよく欲を制するか、
偏ったマスコミの見方から三歩距離をとって
心静かに事態を極めて判断するか、自分がどのような
心理状態にあるかなどを明察する修行の過程である。

 

二千五百年ほど前の范蠡は、計然のルールをやすやすと守って
何度も大富豪となって見事な遣い方をした。


マルコはまったく成功はしていないけれど、
これでも精一杯やった結果であり、

その過程で望んだこと以上の学びがあった。

 
今は涼しげに「積水」を心がけ、いずれ「千尋の谷に決する」
戦略をとってる。

 

万が一、儲けが出ても、それは天からの托かりものだ。

 

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