カニよ、蟹さんよ
チョキン チョキンと
きり上手
いまの友人には、けっこうカニ友がいる
思いっきりがいい
加えて、ほかに責任をなするのではなく、
どんなに被害があろうと、自らの決定結末として
受け入れる。
そういう“潔さ”にはすがすがしさを感じて、
マルコは思わず拍手する。
あるお人は、株の信用取引で大損こいて
お見事億単位の損切を出した。
ズルズル持っていたら出血多量でおだぶつだったとか。
ある大きなPetショップの先駆けオーナーは
経営がいいのに、知り合いの上場会社社長に全部上げてしまった。
おまけにどっしりしたベンツの高級車までつけて。
何と太っ腹な。
有名な商社の創業者の娘さんは肝炎で死にかけた所、
信心で助かり、いらい人のために尽くして、
「美しく死にたい」とのただ一つの願いをかなえた。
ふつうなら、あれも、そう!これも、ついでに---と
なるのに一つに絞ったのち立派な幕引きだった。
同じくマルコが小学校の時の伊藤先生もそうだった。
母とも気があって、五・六年担当のときに成績が上がった。
いわゆる太平洋戦争未婚だったが、キリッとしてにこやかな
武士の娘的なのが心地よかった。
よく家に招待してくれたが、就職してからぱたっと身を引かれた。
分かるのである。老いた身をさらしたくない女としての矜恃だった。
もちろん、范蠡の思いっきりの良さには
ただただ、憧れる。
このごろはやりの“思い”とは抽象的だけど、
考えとか気持ちを含む意思、望みやもくろみ
さらには過去のうらみつらみ、成功体験による幻影とかを含む。
人がこころ描くそのような、あれやこれやの
からまる思いなるものをすっぱり断ち切れることは
みごとである。
日本刀の美しき切れ味
普通は未練ずるずる、失敗を恐れ、欲ばりの果てに
考えすぎたりして断ち切ることは難しい。
年をとるとお分かりだろう。
思いっきり上手は、すっきりした顔してる。
マルコはウジウジ思い切れないことがある。
近頃はね、切るためにへそ曲がりを心がける。
損をしそうな選択を選んだり、
人に譲って残り福を選んだり、
よい生き方に役立つものらしきものを選んだり
そして、どうでもいいわィとサイコロを転がすような
おてんとさん任せにしたりしてみてる
懐刀でもスッキリ切れ味 母上も持っていた
けっきょくはね、うまく行ってよし、
うまく行かず転げてもまたよしだからね。
その過程からは学ぶことが山とある。