目的は
仏光山寺で皆と普通の日常を過ごして
イ.さとり(高度な気づき)と
霊性(人格+品格+慈愛や高度な聡明)の開発
ロ.仏光山寺の智慧や仕組みと隆盛の魅力を探る
近頃マルコはほとんど観光はしないので
修行の地がどんなのかは、記事で想像して
ほしい。
入山してというと、ワラジ履きの坊主を思い浮かべるだろ。
大違い
まったく違って、かわいい法師が自動車で来てくれて
美しい門と前にある池の如来さんの歓迎を感じつつ
高楼の事務處へゆく---まったく現代風入山だ。
「まあお茶でも(喫茶去)」でお茶をいただきつつ
中国語と英語でああやこうや雑談して
義行の受け入れ手続きが終わる。
義行はボランティアと英語に訳されていた。
“義”とは損得抜きでの正しい道、みなのために尽くす気持
などをいうから英語のボランティアとは少し意味が違う。
正しい道は損得の商人とは別世界だ。
西欧のボランティアは無報酬でという損得の世界
東洋のは、する人とそれを受け取る人と
正しいよきことの三つがうまく縁会ってなされる
尊い功徳行なのだ。
三つのどれもが尊くて
“してやる”なんて心は思い上がりで傲慢となる。
“礼を言われたい”など見返りを求める心も未熟そのものだ。
「特技は手洗いの掃除、何でもやりまっせ」と
内申書に書いたが、どうなることか
本殿 延々と続く回廊
けれどすでに、千年構想種まきするヒントが
ここかしこにあると感じている。
アンテナあげた、感度は? 良好!