千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 厳かな朝餉(あさごはん)   :高雄仏光山寺/台湾


経の大唱和と礼拝を終えた後、一言も発せず大雄殿をでてゆく。

 

黄色の衣をまとった僧侶達が一列にすっと背筋を伸ばし歩む。
そのあと黒の法衣の信者たち、
最後に法衣なしのマルコ達が続いて列をなす

 

行き先は雲居楼という大食堂である
大切な修行である朝ご飯に向かうのだ。


朝いただくご飯(過堂)はひときわ荘厳、静粛な時だった。

そこには、テレビを見ながらかき込む食事はない。
人としゃべって騒がしくたべるのもない

 

荘厳な唱和がリーダーの法師によりおこなわれ、
数百人から二千人が一斉に相和す。


唱和のあと、箸の音がかすかにする静けさでおかゆなどを食す

 

対面する遠くの頭をつるりと剃った法師達は女人がほとんどで
小柄な人が多いせいか繊細で慎ましやかなしぐさだ

 

食はいつも精進料理で、「一菜一飯一湯的佛家簡餐」と言うらしいが

 

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簡素な食事どころか、まさに体を養う(供養)するため、
ひいては仏の教えを精進するための旨くも貴いものだ。
これ程爽やかな時の味わいがあろうとは大発見だった。

 

粥座(朝食)、薬石(夕食)ともいうらしい。

 

事細かには解説でないので、次の動画を参考にしていただきたい

             www.youtube.com

この厳粛で静かな過堂に緊張感はなく、粛々となされる。

私たちが日々の営みとする食事はともすると
義務感やめんどくさい雑事に追いやられる。

 

過堂での静寂の中でにあるのは体を想いやり、
溢れる恵みに感謝しながら食べるという感動が
日々深まりゆくだろう


      佛光四句偈

慈悲喜捨遍法界

惜福結緣利人天

禪淨戒行平等忍

慚愧感恩大願心

                佛光四つの眞詩

  思いやりと悲しみの共感を胸に、喜びをもたらせて恵みを回す

  福を大切にして佳き縁を巡らせば、天は人々を利す

  閑かな純心は慎みの行いとなって、すべて等しき中に苦を忍ぶ

  天に慚じるをふりかえり、慈愛を感謝し、心を大願でみたします
                    <Marco訳>

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