不平も不満も責めの気持ちで、怒りの子
普賢殿から大雄殿を望む
「こうした方がいいな」には二種類ある。
自分の場合を想い浮かべて活かす分には特に問題はない。
ところが、人にそれを押しつけるとなると別物だ。
「こうした方がええのに」を受け取るのは人の勝手である
例えば東南アジアでは、手洗いの紙は大体が後ろ方向にある。
不便だなと思っていたが、慣れた。
こんなものだし、ひょっとしたら座る方向や
手順が違っているのかも知れない。
しかし、五観の偈を観じていて気づいた
出された食事の品々に不平・不足・不満えり好みを抱かない!
その恵みのありがたさを感謝する
どうしてそうなのか?
それは怒り(瞋)の子供だからである。
三毒はいけませんよと戒めるこの山で
怒りに子供があることに気づかされた。
怒りは自分も他人も火傷をおわせる。
新しいアイディアを想い浮かべてしまうという癖があった。
なぜなら、マルコご幼少の頃からあれこれ試して見る癖があり
こうした方が面白い、こうした方がよりよくなるなどと
すぐにやってしまうからだった。
それをある面から見ると、おっちょこちょいのなせる所だった。
それに、能率や効率を念頭に、あれこれいうのもあきた。
鈴木大拙がよく取り上げる “ 機心 ” に衝撃を受けたこともある。
西洋にはない、東洋的精神構造から流れ出る、
機械文明による効率追求をはなれた生き方があると
感心したからだ
人は人、世の中は世の中、政治は政治。
立川養魚場/花蓮
何も思わない境地でよくよく天地をみると、
蜘蛛も蛙もチューリップも不満や不足を言っているのを
みたことがない