千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

老いの慟哭-4 迷い道 <悲嘆と妄想の闇へ>


  あなたはどんな幕引きを迎えたいでしょうか?
世間の定型文句は
   『故人は、皆に感謝して安らかな日々を送り・・・』です


かなり前ですが、品格に満ちた人の幕引きを記事して
讃えたことがあったと思います。

 

東洋紡の創設者の孫娘で、大手商社の岩井産業創設者の
子息に嫁いだ聡明な方でした。
その谷口氏や岩井氏と父上は同じ禅修行の仲間でした。

その高齢のご婦人は「美しく死にたい」と二十年間念じ続けていました。
社会活動に専心しているその人は、パーマをかけきれいにセットした翌朝、
テレビのチャンネルを変えようとしてコロリと息絶えたのでした。

お手伝いさんは「それはお美しいお顔でした」とため息をついたとのこと。
尾ひれがついていたとしても、この高貴なご老人を知っている全員が
「みごと!」と賞賛し喝采したのです。

 

それはそうとして、マルコの母上からは
一昨年まで年賀状が届いてました。
施設に入って間もない頃の五年前には元気な毛筆で
宛名書きもしっかりしておりました

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                         なかなか力強い!

一昨年は、最後の望みをしたためておられました。

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                 ウッ!

 

老い衰えとはこういうことなのでしょう

 

大体ご老人は迷惑かけまいとし小さくなってひっそりと日々を送ります。
その謙虚さをいいことに、つけあがった言動や、いじめのような仕打ち
果ては詐欺までする若い人が見られます。

逆に老いて頭と体の調和が取れず、暴力沙汰になることもあります。
どこも大変・・・まあいつの世も同じ“娑婆”ですね。

 


それはさておき、あるときに母上からこんなことを言われ
慰めの言葉も出ませんでした。

「マルコ、わたしねぇ、お皿をだしたりするから連れて帰ってね」
「めいわくにならないようにするから、家に帰らせてね」
そして果てには「マルコ、なんでもいうこと聞きますから」

 

無私の慈愛を注いでくれた方がなんという・・・・
そんな心もちにさせているマルコは天に慚じるのです

 

回りや老を金儲けにする世間と諍(あらが)っている内に
母上は妄想の門をくぐりました。


約束をかなえてもらえず絶望の中で、
ただ朽ちた木のように丸まってられる。

 

この一、二年は施設を訪問して、大好きだった肩もみをすると
「やめてぇ!」と手を払いのけます。
慈しみに満ちた言葉をいつもかけてくれた口は
への字にかたくなに閉じられ、拒絶になってしまいます。

 

目はただれて余り見えず、耳はほとんど聞こえません。
外部で何がどうなっているか分からない状態ですから、
分からん人にこづかれていると感じるのでしょう。

 

夜中ずっと歯ぎしりをして、「うるさい!だまれ!くさい!」と叫ばれます。
マルコに死ね死ね!と叫ぶことも増え、このような聞いたことのない言葉が
憎々しげに闇に響くのです。
眉間のしわも心の怒りといらだたしさを表しているのでしょう。

 

「こんなとこ、ろくでもない」と寝言を聞くと心いたみます。
ろくなことない処だとしても、老いの吹雪すさぶ中、温泉風呂に一旦入ったら、
あがることはまず無理なことでしょう。

 

気が狂われた日常でもほんのまれではありますが、
元の母上に戻る瞬間があります。

 

闇夜の暗がりの中で、思いもせず突然
「あんただれ?」とほっそり目を開けられたので
「マルコが母上に会いに来たんですよ」 と
わずかに聞こえる右耳5ミリの所ま近づけて低くゆっくりといいます

「そう!よう来てくれたわね」

数分というつかの間、母親と子供に戻り、「イイコねぇ」と
かっての面影もない手で頭をなでてくださる

 

それもつかの間、険しい顔になって妄想の苦闇へ向かうのです。
 
けれどこうした折、暗闇になれてみていると、
緊張をといた唇がかすかに動いて、歌がほのかにもれ聞こえました。

 

 

           www.youtube.com             <2600年前、慟哭に沈むマガダ国王王妃イダイケに授けた
         苦から逃れる最初の陽観法が後半にあります>

 

 

古来、賢人は


   

宇宙の絶対真理がある

「ここに、親は子を絶対に救いえず子も親を絶対に救えない
 三つの場合がある。 それは老いと病と死の襲いきた時である

子の苦しみは親が代わってやることはできぬ
親の老いを子がさし止める事も出来ない

父の老いゆくのを子はどのようにして
これに代わることができようか。

子供の病む姿のいじらしさに泣いても、
母はどうして代わって病むことができよう」


   

人も他の生き物もそうした宇宙の摂理につつまれているのでしょう。

 

無条件の慈愛を溢れる如くそそいでくれるものに対してさえ、
老いの“慟哭”を“歓喜”にすることは難儀なのです。

 

施設で多くのご老人と接し話しました。介護の悲惨さも聞きました。
また身近な老夫妻が、荒れた息子のために人生を破壊され地獄苦に沈んでいるのを
痛々しく見ました。ひとそれぞれ大変なことです。


こうしたことを数多く見ますと、ちっぽけな人間の老いの
どこいらに尊厳などあるのでしょうか

 

ただただ、世の偉大なる父上や母上達は

 

   息子よ娘達よ若者よ、これが老いですよ
  よぅくごらんよ !!  準備しなさいよ!!

 

と見えない言葉を投げかけているのでしょうね。

 

表みせ裏をもみせて散るもみじ なのでしょうか
私たちに最も大事な事々を伝えてくださる天使達です

 

 

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          朝ひらき 落ちて輝く 沙羅の花