千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

老いの慟哭-5    老いと幕引きみごとに  <善逝>

 

            

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                                              美しい睡蓮もつぼむ

 


                     ほどほどがようおます!

               誰が云ったか、これは全てのことに当てはまる


もてないのも困るけど、もてすぎても困る・・・友と話したら
友「一度でいいから、超美人にもてたい!」と笑っていた
マ「美人なんか大体が性ワル、わがまま。難儀やでぇ」
友「かまへん、三日で飽きてもいい!」

 

 

さても古来、長寿を願って皇帝は配下を海を渡らせて長寿薬を探させた。
蜜柑もその一つ、橘マルコの名字は蜜柑のこと、長寿の薬で菓子の元流。
内裏の右近の橘は縁起がいい木として植えられている。

 

マルコが三十代半ば、倒れて入院し息を吹き返したときだった。
同室の頑健なじいさんがしょっちゅう来て挨拶替わりにため息をつく
ジ「わしな、はよう死にたい!」
マ「どうしてですやろ?」
ジ「若いときから女だましたり、悪いことぎょうさんしたから
  こんなんになりましてん」
体中、皮膚病でボロボロなのだ。なんだか、2500年前の阿闍世王のようだ。
ひどい便秘で、定期的に屈強な看護婦が尻から掻き出す匂いが漂っていた。

爺さま、よろよろすり足で地獄の道を歩いていた。


もうかなり経ってしまったが、友人から電話があった
「I君、突然死んだ!」 マ「え!・・・・」
「銅版画を制作に行く途中の道で倒れて死んだ」
マ「みごとな、求めても得られぬ善逝!」と喝采を送った
老いの苦を味わうことなく惜しまれて幕引きできたのだ。


マルコはベトナムやマレーシアで田舎にしょっちゅう行く。
そこでは高齢者は生き物としてごく自然な老いを受け入れている。

 

マレーシアので世界最古の原生林ジャングルKuala Tahanで
高齢者が家の土間にカヤを吊してひょうひょうと寝転んでいた。
夜中には虎の咆吼が響いていた。 

 

ベトナムの片田舎Cu Chiで村をのんびり歩いていたら、
娘さんに付き添われたよぼよぼの歯抜けのばあさまがいた。

村の銀座通りに綿菓子を売っていたので、二つ手に入れて訪問した。
娘さんはどうぞどうぞと、ばあさまの部屋に案内してくれた。
なんと土間に質素なベッドがあるだけ。


日本語で「よう頑張りなすった、これ贈りもんです」
ばあさま「*?▼○」とフガフガつぶやく
ニコニコした娘さんもマルコも合掌していとました。

 

 

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                                           かあちゃん

英雄ホーチミンの誕生地Vinhでは、早朝に散歩していると
あるおじさんと立ち話した。そして家の中に招き入れてくれ歓待してくれた。
その人はそばの老母をいたわっていた。

 

友人のHuyのお父さんは、九十過ぎの爺さま用に毎朝ご飯を調えて運んでいた。
マルコがたびたび挨拶に行くと「将棋しようよ」と誘ってくれた爺さま。

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           Huyの父Locと爺さま

 


現代はあれこれやり過ぎて自縄自縛になっているように感じてしまう。
自分の生命力や健康に頼って生きるのが基本。


宝塚でマルコ母上より少し若い飯田のおばあちゃんは庭をきれいに手入れして、
いまでもしょっちゅうマルコに野菜をくれる。

 

「私は体を鍛えて、老人施設なんぞには決して入らない」と近所の
ケイの矜恃にも感心している。脳梗塞で歩くのもたどたどしいのに。

 

老人国ドイツでも色んな老人にあった。
-----------老いの過ごし方と幕の引き方の人それぞれを身近に見ている。

 

ただ時代は変わった 
今までの常識のハンドルを切らねばならないのだけど
ハンドルは重くてそのまま突っ走る。

 

金沢の高校生の弁論大会で女子生徒が優勝した。
死の選択を受け入れようと云う内容だった。
そこに光明を見たマルコだ。

 

こうした常識が定着するのに何百年もかかる 
常識の裏にある本質を観る事が本筋だけど
形だけ真似するのが娑婆というもの。

 

 長寿は不幸でもある、老いの苦しみの期間が
とてつも長いからだ。特に女の人だよ。

 

 感染症が減った、短期で死ねる病気をつぎつぎやっつけ追い出し、
転んで死ぬことすら出来なくなった。

友人は自然死がいいなぁというが、世間はそれさえ許してくれない。
病気や事故も溺れるのも自然死

 

 

マルコは海外で転んで頭を打って死のうと願っている。
カーンと脳みそが響いてね。
交通事故で死ぬのもいいなと思う、予行演習済みだから

 

みんな未経験のながい老いの道を躓きつつ進まねばならない。。
どんなに“老いの良さを見つける”工夫をしても、
現実はよぼよぼになって惚けて馬鹿にされるのだ。


        蕨野行(わらびのこう)

かって、茨木の知恵者に見せてもらったこの映画には、
私たち不幸な長寿者にとって示唆となる昔の智恵がふんだんにある映画だ。

 

マルコが学んだことは
・自分で食物が摂れなくなると死ぬのが天地の摂理
・子や孫のためにウサギ捕りに行って川で滑って爺は善逝
・雪の中温め合って、老人達が美しくも楽しい夢の中で凍死幕引きは善逝

そのほか長い目で見ての古者の智恵がふんだんにあったのだ。

 

   www.youtube.com             孤独な天使達
私たちを育んでくれた、回りの年老いた天使達は
いつも私たちのことを思って下さる。
その苦老が示唆する所を決して忘れることはない。

 

マルコもみずから老いを感じているから、それをただただ受け入れる
そして心ある友人達と幕引きの工夫をあれこれしている。
自分小説の締めくくりの演出だから。

 

長寿という宝物を手にしたら色あせて、
長寿に苦しむ時代がそこにある。

天地宇宙の摂理は、目先の人工的な対処を憐れんでいるだろう。


参考:

     蕨野行(わらびのこう)の映画

https://www.youtube.com/watch?v=npq7L4FqRFM

 

www.town.iide.yamagata.jp                                                                                    《完》