千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

先敬後慈    養眞-11  長文

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私の母上が狂っていってしまった。
そのきっかけは、どう見ても私が母との約束を破ったからです。

 

施設に入れられた母のただ一つの望みは
自宅に帰ることでした。
母から「守っていてね。花を手入れしてね、金魚も」といわれ
「今度はいつ連れて帰ってくれるの」と常に乞い願われたマルコが
その慎み深い希望の灯火を吹き消したのです。

 

 

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病院で多くの人の死を見てきた道すがら、
よく去り逝く善逝とはどういうものだろうかと探っていた。

いろいろありましょうが、実体験から見ると簡素な項にゆきつく。

 

いうまでもなく、『悔い恨みを残さぬ』がことのはじめ。
例えば感謝の心を伝えることなしに別れるとか、
これだけはしておきたかったのにとか、人を傷つけたことを
癒すことなく終わってしまったなどの悔いがないこと。
どちらかといえば後ろ向きの印象があり、かなり東洋的なものであろう。

二つ目は『充実』。
やりたいこともしくはやらればならぬこと、
大げさなもの云いならば使命を心おきなく果たしおえること。
これは意欲的で心意気に通じた印象があって、
どちらかといえば西洋的である。

この二つは 善逝に意味を与えるものではないか。

しめは最も大切に思う心の通う人や生き物に囲まれて
さよならをする。
それが実現するならば、最後の瞬間が心豊だと
誰しも思い至ることでありましょう。 
善逝にえもいわれぬ至福の温かさをもたらす。
実際死出での門には、「ええきもちやわぁ」となるようだから、
内からも外からもぬくもりに満ちあふれるのだ。


かなり前に、あるお医者さんの告白をブログした。
激痛に苦しむ末期ガン患者さんの切なる願いは
病室ではなく窓の外にすくっと立つ桜を
見上げて死にたいという希望だった。

医療を優先した医師は激痛の末逝ったご婦人を看取り
のちしみじみ述懐されていた。
そうしてあげればよかったと。
患者優先の責任を被る、武士の情けでもありました。

 

いずれにしても、こっちの都合ではなく
消え去りゆく人の切なる願いを叶える手伝いをする、
それこそが先に逝く人への大いなる贈りもの。

 

それに重ねて、マルコのこんな体験もあった。
20年か30年ほど前に老人施設を訪ねた時のことだ。
まだ高齢化が取りざたされていないこともあったが、
そこかしこに老いの身を晒している存在に衝撃を受けたのだ。

脱力した体を車椅子の中にとろけさせるようにしているご老人たち。
人生はなく人として生きるなどとはほど遠い世界から
うつろな目を一斉に助けを求めるかのようにマルコに向けるのだった。

父や母をそのようにしたくはないなと。


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引越の片づけをしているとき、たまたま大切にカバーがされた本を
手にとってめくっているとモーゼの十戒が目にとまりました。

十戒は歴史を見ても、精神に高貴さを保つため
大きな影響を与え、モーゼが神より付与された戒めであります。

なんと5番目に「あなたの父母を敬いなさい」とあるのです。
マルコはこれを見てうなだれるとともに、
深く懺悔の海に溺れ苦しむのです。

 

 

“大人”という経験を背負った生き物になると、
ついつい年老いた親や先輩を、衰えたものとして手助けしたる
などと高慢な立場に立ってしまいがちです。
時には「そんなんしたらあかん」と命令し、
「またこんなことして」と責め
「かわいい」と孫レベルにしてしまい勝ちです。
それは相対比較のなせることであります。


マルコの従妹が母に手紙をよこしてくれると、
いつも「伯母上さま」と呼びかけてくれます。
そうした心根もあってでしょうか、その従妹は
最等級の佳き人生を送っていると感心しています。

こうしたさりげない言動に心根が正直にでます。
敬うとは相対的比較なしの心もちで、
行動で表さなくてはならないのです。

 

友が引っ越し当日、忙しい業務をさしおいて手伝いに駆けつけてくれ、
一息ついた雑談でぽつりと言いました。
「子らに手間をかけ苦労して育てても全く見返りなしや」と
影なく笑っていました。

一部を除いて“親”として成長するということは、
つまりこの見返りなしの慈愛を体得するということであります。

子供のあれこれで思い煩い、そして最善を尽くす、
苦しんでいる子供には替わってやりたいと思うのが親心。
金に笑顔する商売人等の損得勘定を忘れた境地があるからこそ
成長できるのです。

生き馬の目を抜く暮らしの中で絶対的保護を為す人は
親をおいて他にはまずありません。
家庭の体験をとおして無私を知り、それを
大衆や世界に慈愛を広げることができると、
まことに素晴らしい品格の元になります。


古来インドの道徳や仏教にも親を敬い孝を尽くしなさいとあります。
中国でも“孝養”は大きな生活指針でそれが日本に伝わってます。
インディアンでもそうです。
そうしてみると無私の愛、見返りを求めぬ慈愛は
どの民族でも貴德として認められているのです。

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                   貴徳へ敬礼

これは人の世だけのことで、ほとんどの生き物は天地の摂理に従って
太古の昔から未来永劫単に生まれて老いて死ぬだけです。


きっと人は自分が主であり、とてつもなく欲ばりなので
十戒などに銘記しておかなくてはならないのでしょう。

どんなに高齢になっても、またいかほどボケが来て
認知症などという不思議な病名をもらっていたとしても
あくまで無私の先人として敬う気持ちを第一義と
しなくてはならないのです。

 


それはそうとして、母を訪問するとご機嫌にと、
痩せ細った腕をさすったり肩を揉んで差し上げると
「気持ちいいわぁ、本当は私がしてあげなきゃいけないのにね」と
今なお育む母でありました。禿げた頭を撫でてくれるのです。

それを身に染む程ありがたく感じていたのに
ひどい仕打ちをしてしまいました。

「今度迎えに来るから楽しみにしておいてください」といいつつ別れると、
「一緒に行かせて!」と懸命にエレベーターに乗り込もうとするのです。
母は毎朝部屋でものを引っ張り出し帰る準備をしていました。
「こんなところ、ろくなことないの」と正月にいわれ、
今年の寒い時に私宛に母からハガキが届きました
 「マルコ様 すみませんけど、お願いですから
  自宅に連れて帰ってくださいね おしず」
これが私の母からマルコへの最後のはがきです。

 

望みだったハワイの一ヶ月旅行も障碍が多くてかなえてあげず、
帰宅は気象を見ながら友人が手伝ってくれたときだけ叶いました。

母が開墾した自給自足の庭と家屋を守ることをやめて
転地することは、母にとって絶望でしかありません。
ですから母の花庭も母の心も荒れてしまったのです。

 

そしてなんと、母は私が金沢へ転居すると同時に
気が狂ってしまったのです。
ユングの直覚したシンクロニシティではないでしょうか。

 

人を非難したことのない母が急変して人を責める言葉を連発し
現実にない妄想の世界で歯ぎしりをし
この世を責める地獄へ行ってしまったのです。


小さな頃から望みを心ひろく受け入れてくれた親の
小さな希望を吹き消した慚愧は絶えることありません。

 

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