日本で食中毒になっても
海外では一度も縁のないマルコも、
アレルギーにはなる。
食物アレルギーだ。
ポルトガルやオランダ・イギリスの統治があって
文化の香りゆたかだというマラッカで、
久しぶりにのんびり過ごしている。
近くのモスクを訪ねようとして薄暗い夕刻でかけた。
アザーンだったか、朗々とした祈りの呼びかけにつられた。
人に聞いたら「あっち」と指さしてくれるが、目印は言わない。
テクテク歩いてるとボタリと目の前に何か落ちてきた。
緑青い果物、匂いで判別、マンゴー!
こらしてみると溝に数個落ちてる。アッラーの思し召しだ。
モスクの代わりにマンゴーを見つけてホテルで食った。
この小ぶりマンゴがAllah恵み
実は大好きなマンゴ、悲しい思い出がある。
仕事でシンガポールに行ったときのこと。
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渡航前、新しい仲間の歓迎会があり、食べた生牡蠣が当たって
みんな寝込んでしまった。マルコだけは翌日のシンガポール行きの
飛行機の中で発熱した。宿に着くなりずっと寝込んでいる始末だ。
同僚は気の毒がって私の好きなマンゴーをたくさん買ってきてくれる。
食欲がないけれどもマンゴーは食べた。
その後が大変だった。唇の脇がただれて裂ける。当時流行した口裂け女症状。
そして 尻までかゆいかゆい、どうにもならない。
帰国後、お医者様に言うと笑いをこらえて厳粛に答えた。。
「マンゴは漆科の植物でかぶれるんです」
幼いときから漆には弱いのだ。
だからマンゴー食べるときはいつも口をとんがらし、
手はアライグマルコになって洗う
∞
実は食物アレルギーが結構たくさんある。
大地震で避難していた時、ルッコラを植えて毎朝食べていた。
するとしばらく経つと酸っぱさ以外味覚が全てなくなった。
ルッコラ ごく普通の野菜??
耳鼻科のお医者さんが言う、「それは食物アレルギーです」
ハワイのビッグアイランドを自動車で飛ばしている時、
なんだか景色が狭くなっている。どうしてかなと鏡をみると
なんとマルコの顔がふっくらしていて目が落ち込んでいるではないか、
まぶたがむくんでいたのである。
何を食べたかな・・・、すぐに思いついた。
それはこの島に渡って大安売りしていたパパイヤを
毎日二個食べていたからだ。一個1ドルのパパイヤを
おいしいおいしいと調子に乗った報いである。
うまいなぁ くだもの
涙ながらに食べるのを諦めしばらくすると
元通りのほっそり顔に戻った。
今回ラオスの宿で足を見て気づいたことがある。
あれいつもならくっきりアキレス腱が見えない??
ふっくらした足を押すと元に戻らない。むくみだ。
すぐにわかった。実は食堂で大きな皿に山盛り野菜が出てくる。
出されたものは全部食べきるのがマルコ流だから
それをバリバリと食っていた。
筋の多い野菜たち、変な味のする野菜たち、雑草としか見えない野菜たち。
その後野菜よさいならしたら一週間後に元通り
アキレス腱がくっきりと見え出した。
異国へ行ったら少々はいいけれど、
食べ慣れていないものを大量に食べ続けるのはやめたほうがいい。
体というものは本当に上手くなっていてゆっくりと
「嫌だよ」とか「大変だよ」と表してくれる。
大事にするからね、かすかなる訴えを。