千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 アラーの恵み:布施も貪りもよし   マレーシア

 

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        マラッカ 海上モスクの夕闇

 

 

田舎では一切ないことが、首都クアランプールのモスクであった。


いずこも全く同じラマダンのしきたりを進めている中
まれな人が我が身のために人を踏み台にしていた。

 

それは日が落ちて儀式のナツメヤシを食べた後のこと

 

大都会の大モスクには大勢が集まるので、分かち合いの皿ではなく
プラ入り恵み弁当が配られて静かに食べる。

後ろの若者が、黒ゴミ袋が邪魔だといわんばかりに向こうへ押しやる。
押しやられた人々は何もいわない。

 

若者は弁当が手渡しで配られ始めると、「魚はイヤだ、チキン、チキン」
といっておかずがチキンの弁当を探し回っている。
見つからないのかはるばる越えて、マルコの向こうのおじさんの弁当を
不躾に開ける。弁当は不透明な手提げ袋に入っているためだ。
そして、ここにあったとばかり持ち去った。

 

 

別のモスクでもあった。
みすぼらしい格好をした老人が三つも弁当を集め、
重たそうにかかえそそくさと雨の中を帰ってゆく。
家族が飢えて待っているのだろうか。

食後の礼拝が大事なのにね。

 

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       ギュウギュウ詰めに礼拝するモスリム 大都会


すっきりした顔の人々はそっと寄付箱になにがしかをいれている。
田舎では、家庭やみちすがら手に入れたものを抱えてきて、
“あんたもどうぞ”と手渡してくれた。


こうしたことを、モスリム達はほめることも
とがめることも、礼もいやな顔もなく
ただ風が通るが如く、気にせぬ趣だった。

 

判断は神にまかせて、ただただ心を清め
大いなるものに近づこうとするかのように

 

インシュアラー(إن شاء الله)   <アッラーのご意志のままに>

 

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                             Melaka Straits Mosque<Masjid-Selat-Melaka>

       ここにも招待されたマルコはカゼ気味だった