千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 巡りまわる宇宙 (長文)   :千年プロジェクトの種まき


どうして千年構想に思い至ったのか
ほんの一部の解説をこころみます。


まずは、昔物語です。

それは1995年で、神戸御影で大地震に遭いました

 

明け切らぬ5時過ぎだったでしょうか、
雷が耳元で鳴っても目覚めぬマルコが大揺れで飛び起きました。
何事かわからずガラス破片ちらばる部屋の中を慌て逃げました。

 

前日に交通事故に遭った足を引きづり、部屋奥に引き返し
鉄アレーで玄関をぶち開けて外に避難できほっとしたのです。

部屋から出られないマンション住人も多く
ドアをたくさんこじ開けて回りました。

 

冷蔵庫の食べ物、風呂桶の水でしのぎ、
電気やガスはなくても窓ガラスで寒さは少ししのげました。

隣の若夫婦から赤ちゃんのミルク用の水がないか!と聞かれ
そのまなざしのひたむきさに憐れを催しました。
マルコスープの風呂の水では?とはいえませんでした。

 

地割れや段差は大きく、近所の歴史ある屋敷は燃えさかり、
墓石は崩れ、五米ほどの英霊顕彰碑は無残にも横倒し、
余震におびえました。
寝るときはヘルメットを被って寝たのです。

 

あちこちでマンションの一、二階が潰れた無残さに
マルコよう生きとったなぁと唖然のため息でした。

 

数日すると近くの学校でおニギリが配られました。

のち、垂水にあった友人の空き家に住まわしてもらって
十年の避難生活を送りました。

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          避難の冬窓




それからでした。
この世の恵みを感ぜられたのは

親戚縁者、先生、先輩、友人、近所の連携などです。

 

特にありがたいなぁと身に染みたのは、目には見えない人々、
つまり昔の人々が営々と造り上げた仕組みです。

 

そこには世界の人々に、草木や動物たちに、
空や山・川・海に---通じて巡りまわる、
知尽くすこともできぬ諸々の恵みといっていいでしょう。

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         瑞宝 草場一壽

そしてその奥にひっそりと潜む出来事の意味について
ある見方を記してみます。

例を挙げましょう---大学に入学できたとします。

その蔭には数人といいますか、多くの入学できなかった
生徒達がいたことでしょう。

 

そして自分が頑張ったから入学できたなどというのは
まったく当たってません。
親の苦労、先生達の指導、社会のみまもり・・・・

それらを感じると大学に入学して卒業ということは、
それなりの使命を抱かざるを得ないのです。

 

大学で学べたことは「自分の就職ひいては生活が豊かに」する
手立てを得た裏に、それまでの恵みを腑に落として、
「与えられた使命を果たす」役割が付き生まれたのです。
こんなに遅く気づきました。

 

マルコの場合、社会的なリーダではないですから、
持ち味を活かすとすれば、人がやらんことにつきます。
アホと思えることができるからです。

 

 

恵みをお返しするのではなくてぐるりと巡らせるために
何をするかは、まず「何がよいことか?」の問いが必要です

会社勤めで大切に感じたのは、目先のよかれではなくて
長い歴史の中で消え去らない長く続くよかれです。

 

会社を五十才余で辞め、あちこち出かけたのは
それを探るためでした。

 

あるとき、たまたまバルセロナの五百年プロジェクト
“Sagrada Familiaプロジェクト”をみてまわり
ビジネス(金儲)にはない世界観に目を見張ったのです。

 

* 自分の代では完成しないことをコツコツと精魂込めて造っている

* 決して急がない

* 政府には一切頼らない

* 職人や石工、芸術家の子弟用に学校まである

* 未完成のものをみせて高額な料金をもらって運営に回している

いい仕組みだなぁとしみじみ感心しました。

 

そこで思いついたのが、“目先の変遷に朽ちない
千年プロジェクト(構想)の種まきをしようじゃないか!”
でした。

 

いってみれば、“Sagrada Familiaプロジェクト”を
始めたボカベーリャ(Josep M. Bocabella)のような
提唱者になろうと決めたのです。

 

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        百年先へ、千年先への贈り物

 

 

友人などに大風呂敷を披露したら、決まった質問がありました

『マルコ、どこにそんな金があるねん??』
金がないとなにもしない予算主義がはびこる今、やむを得ません。

 

そこでとりあえずパートナーと百億円の種金をつくって
やろうとなったわけです。若い人たちの柔軟な発想での
千年構想の種まきをしようということです。

 

もちろん順調ではさらさらないのですが
『神様はお急ぎにならない』と外尾さんが教えてくれたので
カメ歩きで進めています。

その歩みがこの“ 千年の道 ”ブログ記録です。

 

いつまで続くことやら ???
いつまで記することができるやら  ???
わかりません

 

道中で毎日、日々新たに誕生日をむかえて
わずかでも恵みを巡らせる活動に結びつけることができるなら
それにしく喜びはありません。

 

 

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       いとこが画いた日々草