千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 汚れた器   :高雄仏光山寺/台湾

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佛陀記念館にはいたる所に学びのヒントと示唆がある。

何と福岡の仙崖和尚の有名な夜遊び諭しの話しまで
大きく壁にあった

 

それは別に記事するとして、今回は「汚れた水と器」の話し。

 

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佛陀の優秀な弟子にラフ-ラ(Rahula羅睺羅らごら)がいました。

なくて七癖、嘘をつくことがありました。

 

お釈迦さんはラフ-ラに水を持ってこさせて、足を洗いました。

「ラフ-ラよ、おまえはこの水が飲めるかな?」
R「いえ、飲めません」

「汚れた水は誰ものまぬ、はじめはきれいでも、お前の
 嘘やごまかしはちょうどこの水のよごれだよ」
R「・・・」

 

「ラフ-ラよ、おまえはこの器で、食事をできるかな?」
R「いえ・・できません」
「たとえ比丘になっても、汚れた心ならば、
 そこから出る言葉や行い、意思は法に沿うだろうか?」

 

 

そのごラフ-ラは嘘偽りをせぬように研鑽して、十大弟子入りしたのです。

 

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どきっとしてマルコはしばらくその前を動けなかった。

 

むさぼりの欲ばりマルコは振り返った。
気づかない汚れがきっとある

 

偽善はないだろうか?

不信で世間をみてないだろうか?

いいとこ取りをしていないだろうか?

恵みをみる眼がないのでは???

 

こうした汚れがある限り、どんなに善い真理もきれいに差し込まないだろう。

 

心が痛む