祖父に連れられて、大阪の住吉大社にお参りして
帰った時のこと。昭和二十年代後半だろうか。
祖父「マルコ、ひとっつも欲しがらんかったわ」
と吾が父上と母上にゆうたそうな。
マルコは祖父がそして、祖父の匂いが大好きだった。
いたずらばかりする私を、面白げにみていてくれたそうだ。
そう、人に求めるより、どちらかいうと
自分たちで手に入れる欲に偏っていた。
今回の修行で気づいた。
ひょっとしたら、そうだ、きっと、いやたしかに
努力して成し遂げようとするいわゆる達成意欲や
こうしてあげたいという欲も限度を超すと
確かに《むさぼり:貪欲》そのものだ。
むさぼりは食や性、愛、名誉、財、地位ぐらいにしか
思っていなかったマルコには大きな気づきだった。
世の中では、やる気は賛美される。特に若い頃は。
けれど絶対の真理である「物事には裏表あり」は
ここにもあてはまった。
やる気満々でうまくいったとしたら、
ひとは自惚れて高慢ちきになり回りを見下す。
失敗したら愚痴をこぼして不要な劣等感に沈んで嫉妬する
やる気は脳を燃え立たせ口のない体を酷使する
やる気は工夫を産み、先の大きな挫折を準備する
やる気は人々の心を比較シーソーにのせ、
いずれ折れて皆がおちる。
千年構想資金を金融市場で作ることに関しても同じ
現代の仕組み内ではよい手立てだけれど
過剰なやる気満々はマルコの過去の挫折道をたどる。
欲でしかなくなったやる気は本人は気づかないから
後でひどい状態になるのだ。
欲になったことをどうみきわめるか?
自分の思い通りにしたい
なかでも人を思い通りにうごかすというのは
西洋で支配欲といわれ大きな快感だ
この欲望がどれだけ深いか、独りよがり度が
どこまであるかをみる
独りよがり度は敗者への配慮のなさをみれば分かる。
たぶんアングロサクソン資本主義が
蔓延しすぎているからだろう
さてもどるけれど、やる気をどうコントロールするか?
過堂で得た五観の偈にヒントが輝いていた。
その拠ってきたる所を観じてありがたさを噛みしめる
ほどほどつまり中道になるよう慎みを持つことだ
とそのようにマルコは腑に落としている。
来年から数年以内に来るであろう
米国型資本主義の未曾有の大波乱に
ありがたさと慎みをもって対処する
今までの福報を活かすことができるか
大きな修行が来年から控えている
私の願い <星雲大師>