父の恩人である鈴木大拙師はその文章から
自由(みずからによる)に放たれた創造性がヒシヒシと伝わる。
高雄にある仏光山寺の臨済宗本山、
星雲大師からもその偉大な創造性が伝わりくる
悟りはかくも人の心を大空・虚空に放つのだろうか・・・
星雲大師は可能性や富は「無尽蔵」とおっしゃった。
世間ではあれがナイナイ、それありません、これ不足というのが
ふつうだけれど、こうした境地の方々には、どんな場合でも
無限の可能性を見てとることができるようだ。
ふつう私たちは、自分(みずからをわけて)で自分を縛って苦しむ。
縛るものはそれぞれ違うけれど、人生を制限する縛りをあれこれ持ってる
本人だけが気づかないで、苦を増やしている。
エリックバーンはそれを人生脚本といい、
ゴータマは三毒と名づけた。
マルコも三毒を沢山持っているよ
だから、日々それを洗い落として、
日々誕生しようとしてる。
一番は過去受けた教育をほどほどに解きほぐし
二番は時代遅れのしきたりからのがれ
三番は放たれた人々の薫陶をうけること
何とこの天地は恵みに充ちていることか
けれど、マルコ自身、福田を懸命に耕して、
善縁の種まきし、功徳という農作業を
しなくてはそれは叶わない。
いのち尽きるまで、いっ時いっ時がほんと大切で愛おしい。
いつになればその高みに近づけるのだろうか?
ためいきひとつ
こんな大きな実りがまってるよ