千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

縄文の平和と滅亡調査-9 <砦跡・遺跡より伝承知>釧路

宿舎のオーナー坂下さんが教えてくれたモシリアチャン遺跡(砦)、仏舎利塔訪問。

 

 宿舎の自転車で人に尋ねながら駅まで行く。風はひんやり爽やかだ。
人はまばらで、羅臼行きの方法も聞いた。駅のベンチで女子生徒達の前で
スナック菓子をねだっているカモメは真っ白の羽を陽に輝かせて佇んでいた。


モシリアへと旭橋を目指して自転車をこぐ。

道行く人々に尋ねると若い人ほど親切に教えてくれた。 ある高校生は「頑張ってくださいね」、ある勤め人は「自動車が多いのでお気をつけて」と気遣いのエールを送ってくれる。

 

モシリアチャン跡は住宅街にあって、見過ごしてしまうような盛り上がった茂みだ。
これが砦とか城跡とは思えない。ぐるりと回っても4,500mほどか。 
立ち入ることはできず、茂みの中の立札を撮影した。

砦にしろ城があったとは、戦があったのだ。

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        ☆☆☆

 

翌日、貝塚へ行った。古いけどよく動いてくれる自転車にも慣れて快適。
地元の人は地名を思い浮かべるようで、貝塚がどこにあるかは知らない。 
仕方なく貝塚公園と云うところへ行くと広々したなだらかな丘陵がある。

 

マルコの原始人の勘が語りかける「ここは住みやすい場所やな」

黒い犬を連れた散歩の背の高いおじさんに声をかけた。

帽子がよく似合った知的な顔立ちの紳士で、親しげに説明してくれる。

「小さな頃はここでよく貝を見つけましたよ。今は芝生ですけど、

ほらこのすぐ向こうには貝がたくさん現れてます。

一緒に行きましょう」と言いながら犬のボールを放り投げて先導してくれる。


 マルコは公園入り口の縄文時代の住居をイメージしたようなオブジェと説明を撮影して戻り、帽子紳士と貝を見に行く。 確かに地表に白いあさりのような貝がたくさん出ている。 昔は海のほとりだったろう。


左には町と貝塚駅が見え、広々した北の原野を見渡せてなんだか氣までおっとりするようだ。

 

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しかし、釧路での遺跡などからは、伝承の語りも

古人の知恵は聞こえてこなかった。
聞き取りに耳が悪いのだろう。

 

遺跡は考古学者に任せ、別の方法を取ろう。