千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

縄文の平和と滅亡調査-13 <「アイヌ、日本人、その世界」小坂洋右>

第2部一章 縄文は1万年の持続社会より:釧路図書館にて

・戦争がごく少ない平和な社会だったことが人骨から推測。 本州以南弥生時代に米作りが始まり、わずか550年後巨大な墳墓の古墳時代に移り、農耕が富の蓄積を促して格差と権力者を生み出したことが明らかにされている。
 
・縄文社会に権力者や格差がOだった時代ではない。
 例えば3000年前北海道カリンバ遺跡などでは死者への副葬品の墓が歴然と違っていて社会格差を想像させる。しかしそれが権力者の発生と言えるほどの格差ではないとみなされている。 その後は副葬品はなくなっていて格差の存在は見つからない。

◎ 縄文の文化原理は平等主義に立脚した社会制度を有していた。 階級社会の装置を文明原理に取り入れない何らかの独自の平等主義に立脚した社会制度があったものとみなされる。  
◎ 生産物が貯蓄しやすくこのために容易に貧富の差や階級差が生まれやすい穀物農業を受容することを回避する文明の装置と精度を有していた。----こうした文明原理を継続的に維持するために縄文土器土偶を大量に生産する 知的芸術的行為、 ストーンサークルの構築、あるいは巨木の祭りなど宗教的祭祀といった日々の生業活動とは異質の直接生産に結びつかない文明の装置や 制度を際立たせて発展させた。


縄文人は王を出現させず。 国を作ることはしなかった。 だが代わりに得るものがあったというのだ。 それは平等主義に基づく社会や文化の持続であり、手間と時間と惜しむことなく生み出されたエネルギッシュな造形や精緻な儀礼・信仰の場だったのである。

 

・ 富が蓄積できずそのような権力者が出現できなかった。 国が出来なかったとされる先住民族だってその気になれば蓄積できないわけではない。なのにあえて蓄財を拒んできた集団を束ねる首長だって戴きはするが、その主張が権力を持っていないようにうまくコントロールする仕組みを持っていた(クラストル)。
首長の役は「平和をもたらすこと」であり
「自分の財物について物惜しみせず村人を助けること」
「首長は判事ではなく妥協策を探る調停者である」

 

・ 神々と正しく付き合い悪心を持たなければ平穏に暮らせると固く信じていたアイヌは和人に騙され、衰退の一途をたどった弱い人だった。 自然を手本とした生活規範は人の本質的なよく深さには対応できず発展には限界がある(石川美香穂)

 

まさにこれがマルコの千年構想の問題点につながるところである。