千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

縄文の平和と滅亡調査-25 <アイヌ同士の戦い>

羅臼町郷土資料館学芸員天方氏よりの情報  

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狩猟採集生活でも保存食はあった。
弥生時代になって米など蓄えられるようになった。
これから階層、支配、格差が出てくる。
擦文サツモン文化、オホーツク文化の次にアイヌ文化が出てくる。しかし文化的なつながりはない。


A母体は続縄文文化・本州では土師器を元にした青縄文文化
B擦文文化7世紀から12、3世紀オホーツク文化オホーツク海沿岸でサハリンから来た。
縄文からアイヌの間はかなり期間がある。
Cアイヌ文化は13世紀頃から始まっている。

 


アイヌ同士の戦いはあった。「アイヌ闘争伝承」にある。


アイヌの文化
物質文化:アイヌは石器や土器は使わない。平地式の家
精神文化:代表的なものとしてイオマンテの儀式。仔ぐまの飼育型熊送り。これは擦文文化にはない。神の国で神は人間の姿をしているが、熊の格好をしてやってくる。熊の肉を神の国から送ってくる。片や人間の国がある。
お墓の作り方:東夷の方向、埋葬形態もアイヌ的で、家でさえ焼却して神の国に送る儀式がある。実用ではない。

*こうした内容は羅臼町のホームページにある


◎アイヌの抵抗:寛永元年和人の圧政に耐えかねたアイヌが抗議しその五つのチャシを築いて抵抗した


--羅臼町HPより--
オホーツク文化の至宝~国指定重要文化財「北海道松法川北岸遺跡出土品」
7~8世紀頃のオホーツク文化の集落跡より出土した260点が指定され、オホーツク文化を代表する出土品となっています。アイヌ文化の精神文化に影響を与えたことが窺える貴重な資料です。
・北と南の文化の融合トビニタイ文化
トビニタイは羅臼町にある海岸町の旧字名です。北のオホーツク文化と南の擦文文化が接触して生まれたトビニタイ文化の出土品を豊富に展示しています。

・翠玉の輝き羅臼ひかりごけ
国内最大級のヒカリゴケ自生地としてマッカウス洞窟(羅臼町共栄町)が北海道天然記念物に指定されていますが、現在洞窟は岩盤崩落の可能性があることから立ち入り禁止となっています。館内でヒカリゴケの生体展示を行っています。

・『知床旅情』の誕生
知床ブームのきっかけとなった知床旅情。その誕生には森繁久彌氏と羅臼村民の物語があります。

・知床の動物たち
世界自然遺産知床、ここで生きる動植物の剥製や標本、そして模型を数多く展示しています。知床を代表するヒグマやシカ、オジロワシオオワシシマフクロウなどの剥製の他、クジラ・イルカの模型は圧巻です。
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◆争いや戦争は、主に富の奪い合いから来る。
よく言われることだが、彼の十字軍戦争でも宗教正義の戦いの裏に土地や富の収奪があった(あぶれ次男三男による東ヨーロッパへの東方植民)。1228年から始まった第5回の十字軍を率いたフリードリヒ2世は、度々十字軍の進行を退けてきたアイユーブ朝のスルタン、アル・カーミルと粘り強く外交交渉し互いを理解し、キリスト教イスラームエルサレムで平和共存する道筋を作った。ところが相手から奪うものがなかったのでともに厳しく非難されたのだ。人々は基本的に欲望で動いている。

 

また、富の蓄積が大きいほど魅力的だから、貪欲な人間はあれこれ理屈をこねて
大々的でおおきな奪い合い騒ぎを起こす。

 

珠をいだきて、禍を呼ぶのである。