千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

縄文の平和と滅亡調査-33 <英勇5-最終-范蠡> 長文

 

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            范蠡像 はんれい

名を知らぬはないほど古来より有名な御仁。
呉越乱戦時代(紀元前500-700年ほど)、越を盛国に導いたお人です。
武人として戦略家、巧みな商い人としてもすんなりこなす
“自由自在の人”。

よく言われるのが“人生の達人”は言いえて妙である。

范蠡の記録は史記「貨殖列伝」によるものである。
それに二千数百年の歳月に美化され尾ひれがついたであろう。

 

☆関西弁で足取りを見てもらいましょ。

  

◆世界に大きく羽ばたく蠡(レイ)
紀元前536年7月26日にオギャーァ!と生まれたことにしとこ。
学者さんは本気にせんとって。

若い時のくわしいことは、ようわかりません。
そやけど、あちこちの文献を見てると、今風にゆうたらね、好奇心に満ちた坊やが海外留学の機会を得て、大局(全体像)を俯瞰できる力を身につけた様やな。

 

范さんとこは爺様も父さまも気張って家を盛り立てたんや。
小作は草が生えても抜かんけど、大農は草が生えんように畑を手入れする。
「未萌」に処するってやっちゃな。だからいやでも大農になった。
お天とうさまとも、地面の神さんとも上手うぉずにつきおうて富を手にしたんや。

 

そんな范家で育った蠡(レイ)君は、かわいい子やったんやろ。旅させてもろた。
戦ばっかしの中国を隈なく見聞したんやな。親御さんえらいな
世間っちゅう知恵の泉を遍歴して飲んだわけや・・・・ええなぁ

そやから、あんた、“井の中の子蛙”やおまへんわ、ワハハ

 

 

◆計然から学ぶ世の中の仕組みを諦める

 蠡(レイ)君は濮上(ボクジョウ)塾に時々出向いて学んどった。
当時といやぁ塾長の計然は、孔子はんと同時代の経済通でソロバンが得意やった。
そんな時分に「高い時に売り、安い時に買え。市場(イチバ)の商品と流通する貨幣の循環を淀みなくしたらええねん。そのために気象の変動周期、大げさにゆうたら太陽黒点や星座の位置など、科学的データを活用すること大事や。そして民衆を動かすには、金を褒美にする。これをわきまえてりゃ、成果に結びつく」と教わった。

 

レイ君はいろんな真理を明らかにする、その多くの気づきを得たんですわ。
だからね、本当の意味で諦めの多い人やった。
今では狭意で、諦め=ギブアップやけど、本当の意味は可能性の見極めと諸条件の転機を見抜く慧眼のことでっさ。

蠡君はほかにも孔子や昔からの老荘思想も多くの人から学んだなぁ。子貢とも親しゅうしとった。それに多くの人と接する旅で、自然と心理学的な学びや人を見抜く目もついたやろ。

 

ン?蠡レイってどういう意味かいなって? 説明しとこ。虫の種類やおまへん
ニナって貝おますやろ、 ほらがい ひさご(ヒョウタン)の意味らしい
お父さんおもろいお人やなぁ・・・
            ほら貝吹いてひょうたんナマズ

 

 

◆戦術成功、請われて越国将軍に
・世界情勢
歴史は廻りて~ぇ    有名な呉と越の戦争ばっかしの世ぉ~

 

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細こう国々に分れた世界で、呉王闔閭(コウリョ)は敏腕政略家の伍子胥(ゴシショ)と、あの名だたる兵法家孫武(孫子)を得てやる気満々。お隣はんの大きな楚へ侵攻している留守に越王允常(インジョウ)が攻め込んだもんやから急遽兵を帰したんや。


怒ったわなぁ呉王闔閭。劣る発展途上の越やとおもてた子犬に噛まれた!って訳や。
これから呉と越、犬猿になってしもた。


呉に対抗して、越も民間から優秀な計然を顧問にしてたんや。

争い火付けの越王允常はBC496年に逝ったもんやから、子の勾践(コウセン)が23歳で王位についた。


若い勾践は計然を政治顧問として相談し、計然の推薦で塾の俊英、文種(ブンシュ)を内政顧問として採用して備えを固めようとしましてん。

 

「猿の呉が内政の整わん子犬越を攻めるぞ」と忍者からの知らせが句践に!、
慌てて顧問計然にどうしたものか聞きましてん。
「ちょっと、待っておくれやす。わし老いぼれとるし軍事戦略には疎いもんやさかい、別のごっつい優秀なんを紹介しまっさ」と范蠡を名指しする。

 

ぼんぼん王勾践は、天子としての招集状をせっせと書き始めたんやが、計然は「范蠡は命令でやすやす尻尾振る男やおまへん」と助言して段取りし、文種を行かせたんや。

 

 

塾の仲良しだった文種は遠慮もいらんから、范蠡に酒注ぎながら直球質問や。
種 「お前、呉軍の侵攻にどう処すや?」
蠡 「呉の孫権は越攻めには加わらんと聞く、枯葦作戦はいかがやろ」
種 「枯葦・・・お主のことや、よし聞こう」
    カクカクシカジカ
二人はカンラカンラと笑って、膝を打ち笑い転げた。
文種は帰って句践王にお目通り、「これはいけまっせ、太鼓判」と喜ばせた。

 

さて紀元前496年、呉軍は浙江北岸に押し攻めてきたとの間者の情報。
呉軍は精鋭で孫権仕込み、対峙する越軍は金をうんと弾んだ末にかき集めた数揃え。
精鋭兵士の数は雲泥の差。

越兵は葦に潜んでただ幟を掲げて打ち振ったり、意味ありげに狼煙を揚げかく乱する。
突如響きわたるは激しき爆竹音!煙が雲散するその中を、不気味な衣装の越兵(罪人)が十名。横に並び呉兵の目前までノシノシ歩む。固唾をのんで凝視の呉兵、十の越兵抜き放つ凍てつく刃がキラめくや、なんと自ら首を刎ねるやおまへんか!
おいおい、また十の越兵が無表情でザックザック足音高く葦を踏みわけやってくるで。血が体から吹き出し、頭がころりドサッと葦原に落ちる。また!十名くるやおまへんか・・・
きしょくわる~   呉軍仰天してざわつき、恐怖が襲う。
たじろぐ隙に浙江は満ち潮到来、なんと奇怪、体中に入墨の決死隊が勢いよく呉軍本陣めざして斬り込むんや。
越兵は地獄のこわもてやおまへんか!と呉軍は浮足立ってたじたじ。

しばらくして越は数を増やしつつ第二、第三と恐ろし気な精鋭隊を殴りこませておののかせるもんやから、じわじわ退がるしかあらへん。呉軍は北30キロも後退し、
砦にこもろうとした。ひく兵は弱い、そこへ・・・数少ないが越の勾践率いる親衛隊が攻め入り、激しい戦闘が開始。恐怖の余韻を抱いた呉軍はついに敗走してしもた。
范蠡の策で呉王闔閭討ち取り隊がしつこう追いかけて、矢傷を負わせることあんじょうできたんや。

なんせ、死刑囚に名誉回復と残された家族への厚遇条件に首落部隊を募ると、応募殺到やて。高賃金の異族傭兵も見るまに集まったそうや。

 

さて、矢傷と悔しさでうめく呉王闔閭は、息子の夫差を呼び寄せ「新王を譲る、必ずや勾践を倒しておくれ」と遺言して逝ってしもうた。悔しいわなぁ

 

欣喜雀躍の越王句践、この戦術を編み出した范蠡を家臣にせんと手を尽くし申したわ。

 

范蠡は別の道を考えていたらしく、乗り込んできた王様に大慌て。えらいこっちゃ!
「わし才能あらへんので」としきりと謙遜辞退したが、句践は若さゆえ王命を振りかざして、家臣に服せよと繰り返しまんねん。
当時、王さんに逆ろうたら一家首飛びまっしゃろ、范蠡弱りましたわ。
ま家人達に目配せしてOkサインをもろたんですわ。

 

勾践はまた雀躍、范蠡は対呉国戦略司令官に任命されはって、献身努力することとなりもうした。


范蠡の宮仕えと会稽(カイケイ)の恥辱
そんなことで、国の存亡の片棒担ぐことになった范蠡
えらい難儀なもん背負うたこっちゃ

歴史の教科書にあるんで詳しくは言わん。

 

父王から復讐を言い渡され呉王夫差は若い血潮を燃えたぎらせ、薪の上に寝て(臥薪)復讐を練ってましてん。

 

一方の得意満面王句践は、范家の侍女西施がことのほか別嬪と聞き及び、后にと命令を下し手の内にしてしもうたんや。
西施って美貌はさておき、マルコの好み大した女やからね。それもさておき・・・

 

呉王夫差復讐を聞き伝えて、句践はおののきおそれじっとしてられん。
范蠡の押しとどめにも聞く耳持たず、四万兵を挙げ呉に攻めますねん。
溺愛の西施にええかっこおうしたかったんやろなぁ。そこいらの若い男と同んなしや。
ま予期せん侵攻で逃げる呉軍を追いかけ調子に乗って、迎撃されて数千の兵しかおらんという完全窮地に追い込まれたんや。

 

ハーハーゼーゼー会稽山まで逃げて「俺は死ぬ死ぬ」とわめく句践。
「殿!ご深慮を!」ともともと出陣に反対した范蠡は、勾践の泣き言をひとしきり聞いてやり、窮余の策の手立てを納得させた。

 

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             東奔西走の范蠡

 

 

まず文種が終戦懇願に赴くこととなり申したんや。呉王夫差は傾いたが、世知に深い伍子胥が強く反対する。

「延命させれば、必ずや将来に禍根を残しまんで」

夫差の目先の感情に左右される小器を父闔閭に補佐するよう頼まれた伍子胥でしてん。

 

呉王であることを見せびらかせたい夫差は「度量のあるとこ見せたろ。句践は宝財を献上し、われの臣下となると申して居る。おまけに、憐れみを示すのは(カッコ)ええし」と押し通したんですわ。

伍子胥がっくり、文種・范蠡ニンマリ。

 

 

范蠡の東奔西走・自ら人質に
范蠡と文種は色々戦略練ったね。
「向こうの強みはなんや」
「経済豊、人材豊富の伍子胥(ゴシショ)と兵法家孫武
「さよか・・・あんた経済面で越をいっちょ前にしておくれやす」
「お前はんは?」
「うーん、目に上のたんこぶ取り払をしまひょ」


文種は庶民を鼓舞して食を満たし産業構造改革、空になった国庫が膨らまっせたんでっさ。
范蠡はみんなと相談して、呉国の重鎮で賄賂に弱い伯丕(はくひ)を賄賂攻め美女攻め。

その効果絶大で伍子胥は讒言失脚・壮絶な最期を遂げさせられたんや。

これみんな范蠡の自前やで!    金持ちがスッカラカン
税金目当ての今の政治家とちゃうねん。

 

讒言ていうのはそこいらじゅうにあるけど恐ろしなぁ。
信じるあほがおるんや、器が小さいほどなぁ、そんなもんや

 

さてグルメで呉王夫差が腎臓を患ぅにいたり、医師がその尿を舐めその味を教えてくれたら治療法が分かるとゆうた。
そこで罪人として牢屋にいた勾践が味見をして、呉王は健康体となった。


その功績と美女・賄賂をたんまりせしめてる重臣伯丕は進言して、呉王に勾践の釈放を認めさせた。
ただ、身代わり人質として范蠡が自から呉国へ乗り込むんですわ、大した度胸や。
句践釈放のお礼に、句践の西施夫人を妾として差し出すのも条件やった。

 

健康のありがたみにしみじみしていた夫差は「よきかな」と承諾しますねん。

 

ここからが西施の大活躍、持ち前の聡明さであっという間に夫差を虜に。
戦略家范蠡は呉国の人質、怖いもんなしや。天下快晴

西施「王様 御殿を作って」
夫差「愛いやっちゃ、よしよし」
西施「殿さまはちっぽけな呉国だけでは収まりませぬ」
夫差「そなたは見る目がある、楚を攻めよう」
西施「それだけでは」
夫差「よっしゃ、晋も攻め取るわい」
西施「牛車の振動は美容によろしく御座いませんの」
夫差「誰かおらぬか!道を平らに舗装せよ」
西施「近頃差し込みが」
夫差「后の立ち寄る所、快適な透明ガラス張り休息所作れ」
西施「帝様、上海ガニより金澤勢子ガニが好みなのご一緒に・・・」
夫差「船百艘で邪馬台国へゆけ!!」(まず史実にあらず)

といった具合に、莫大な浪費をさせることとなったんや

 

 

政治顧問伍子胥は自害させられるは、国庫は見る間にねずみ走る運動場ひろがる。

 

一方、三年の囚われの身で呉王のしょん便まで飲んで苦労した勾践。越にたどり着いて身についた粗衣粗食を続け、鍬を振り食事の熊の胆を舐めて肝臓を鍛え

「今に見ておれ!!!!」とリベンジを日々新たにした。嘗胆(ショウタン)で先の臥薪と合わさって臥薪嘗胆となるんや。

なんとなぁ、2500年後にマルコの生活となるんでっさ。

 

范蠡は西施と連絡をひそかに取り交わし、時の至るのを待ち続ける。
越王句践は若いから性急でありまんわな


句「そろそろ、攻め時ではないか」
蠡「まだまだ、天の好機ではございませぬ」

 

范蠡は魯の国の孔子の高弟子貢と旧知の間柄、
呉王に働きかけて斉国を撃たせる策を練って呉の国力を弱めさせる手立てを苦労してやりますねん。
やっぱり若い時の遊学はよろしおますなぁ

 

范蠡ハン自腹きって、危ない橋をわたる多角的戦略を次々実行し苦労の連続・・・・
それに范家の蔵、空っぽや。

賄賂でつこうたし、きれいな若娘ぜぇーんぶ呉へやってしもた。


范蠡ハンゆうとった。
    「はた目には 何の苦もなき 水鳥の
                 足のせわしき 吾思いかな」
    「なんでわし、こんなことせにゃあかん???」

 

 

◆呉国滅亡、句践大得意 范蠡去る
カップラーメン三分、范蠡十年三度で待てる度量

 

句践「苦い肝、舐めるのは飽きてしもた」
范蠡「まだ、呉国の豊かさは越を凌駕しとります」
句践「そうか、舐め続けなしょうないか」

   何度繰り返された後か知らんけど、
ある時、呉王夫差は軍をほとんど率いて北の会盟に出かけた。国許は太子・友がわずかの兵とともに守ってると忍者の確報を得た范蠡ハン


范蠡は 「天の時来たり」 と句践に笑顔で言いましてん。

小躍り句践は大軍で一気に呉を襲い、太子を殺して呉を占領した。夫差はえらいこっちゃと引き返してきた。
越王「まだ呉の全土を占領するには越の力不足」と一旦和睦する引け際見事でんなぁ。

 

 

後、西施の勧めで夫差は無理して北伐出兵し見る間に国力消耗ですわ。
その機を見計らって越は呉に決戦を挑み、遂に夫差を姑蘇山に追い詰め、夫差は自らお命を絶ちましてん-------------------------

 

 

悲願達成、極楽有頂天の勾践を見て、范蠡は家族たちと気づかれぬように越を抜け出たんですわ。
これごっつう冒険、一旦王命に逆ろうたらね、えらい目にあわされるんや。

 

范蠡は友人文種への手紙にしたためる

「わたしゃ『飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる』(飛ぶ鳥がおらんようになったら良い弓は仕舞われ、狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われるもんや)と聞いとる。
越王殿の容貌は首が長うて口がとがとります。この人相苦難を共にできても、平和時はともにしたら災い起きまっせ。おぬし越から逃げ出されんことを」と。

 

文種は病気を理由に蟄居するも、猜疑膨らませた句践から剣を賜い(自殺を命ずる意)、自殺させられますねん。
国を思うて苦労した家臣に・・なんとむごいことをと思いはりませんか!!

 

◆変幻自在の転身
かって、范蠡から天子句践への諫言 

「兵は凶器、戦は逆徳、争は事の末と聞いております。
 密かに逆徳をはかり、好んで凶器を用い、身を事の末に試みるのは、天子の禁じ給うところで、先に犯したほうが不利」どした。 

苦しい境遇の宮仕えを捨て去った范蠡は、この箴言を自らも守って細心注意で新天地を目指しましたなぁ

 

蠡は平和な暮らしを求めて、斉の国薄姑(ハクコ)という村にやっとたどり着く。
気分一新、鴟夷子皮(シイシヒ)と名乗って農商に精出しますねん。
戦略パートナーだった西施が罪人を入れる皮袋=鴟夷で沈められたと聞くし、敵の伍子胥が悲惨な死を遂げてやはり鴟夷で沈められたんで弔いの意味もあったんやろな。

農作物は豊富に実り生糸をと桑も栽培する。浜辺で塩を作り「敵に塩」ではないが、戦争地帯でばかばか売る。。
人びとは喜び、儲かるはで范蠡ご機嫌。「これわしのユートピア

 

 

成功はもろ刃の剣、斉王である平公から政治顧問を請われまたまた宮仕え。
産業興隆、軍事防衛を終えてほっと一息の范蠡ハン。
「まずいのう、あまり評判が高くなるのは災いを招く」

 

平公にお目通りを願い「吾六十四、年齢には勝てずゴッホ・・・」と高位を若きに譲り、財産を友知人に分け与え
また家族とともに行方をくらましますんですわいな。
若いころの旅をなぞっとんですなぁ。

 

そうして交易が盛んな陶という土地に移り住みました。彼は「陶朱公」と名を変えて心機一転。

農商業に再チャレンジ、おやおやまたもや巨万の富を築きました。
范蠡が近くを調べると鉱脈があり、硫化水銀が採れる。ピンときた范蠡はそれを原料に朱や印朱肉を製造販売し、専門家を動員してたりもして、硝石と硫黄などから火薬を作ったりして財がますます増え、またも范蠡は長者になってしまった。そうこうしているうちに、陶朱公と皆から讃えられることになったんやなぁ

 

---これはおまけの話やけど--------

◆西施と范蠡
范家にはいろんな人材を抱えていた。
歴史として有名な四大美女の一人、西施はもともと洗濯女。川で洗濯していたら、魚が美しさで気絶、浮いてきたとか(真っ白なウソ)
だいぶ年下の西施を范蠡は娘時代から大事に育み、傾国の美女の役割を持たせるんや。
本来聡明な西施は、あの手この手を尽くして連絡を取り合い、夫差を骨抜きにした。

他の三大美女は我欲のわがまま娘、西施は使命全うのお人。

 

ゆくすえは?

呉王夫差は西施の恋が偽りである事を知りながら、その美しさ故に西施を愛していった。また、西施も、呉王の優しさに触れ、いつしか本当に王を愛するようになっていくのだった」とは宝塚歌劇団雪組(西施役紺野まひる )のストーリーだが、マルコの推測は違いまっせ。

 

親とも兄とも慕う范蠡との絆があるからこそ使命全うできるんや。
呉の国では、敗北滅亡の元凶として憎まれて、一説には皮袋に放り込まれ、長江に流されたとも。
別の説では范蠡に無事に助けられ保護されたんやと!
そやけど、居場所がおまへん。
勾践の新しい正室後宮の女たちの猛烈な嫉妬にさらされ、殺し屋が夜な夜なきたとか。

 

施「蠡さま、呉では死袋に入れられそうになり、越では句践王様は見向きも護ってもくれずで御座います」
蠡「そうか」深いため息をつき「それはわしの不徳、吾ら家族とともに同行を、それがお前の人生への償いじゃ」と手を取り合った。

願わくばのマルコの想像でしかおまへん

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            苦労かけた



 

◆団子三兄弟、范蠡の悲しみ 以下は余談ですが関心ある人どうぞ

范蠡の次男が楚の国で人を殺し、捕らえられる事件が起きました。范蠡は「人を殺せば死罪は当然だが『千金の子は市に死せず(富豪の子は死刑になって市中にさらされることはない)』とのことわざもある」と、末っ子に大金を持たせて救出に向かわせようとします。
 すると長男が「自分でなくて末弟を行かせるのでは長男の面目が立ちません」とゴネ出します。自分を行かせてくれないなら自殺するとまで言い、母親も「末子が次男を救えるとは限らないのに、ここで長男に死なれてはたまりません」と訴えました。
 范蠡はやむを得ず長男を行かせることにし、

まず荘生(そうせい)という人物を訪ねて大金と自分の書簡を渡し、全てを任せるように言い含めました。
 長男は最初だけ父に言われた通り動きます。荘生は書簡を読み終えると、長男に「すぐ帰りなさい。もし弟が無事に釈放されても、その理由を詮索してはいけないよ」と命じます。長男が持ち込んだ金は、范蠡からの信頼の証しと考え、次男を救った後に返すつもりで預かりました。

 貧しい暮らしぶりながらだれからも尊敬されていた荘生は、タイミングをみて楚王に謁見すると「星の動きがよくありません。不吉の兆候です」と語りかけ、君主の徳を世に示す必要を説き、暗に罪人たちの恩赦を求めました。これに楚王も応じようとします。
 范蠡の長男は荘生を信用せず、楚に残って有力者への工作を続けていました。そして楚王に恩赦の動きがあることを知ると、荘生に返金を求めたのです。恩赦があれば、荘生に頼らずとも弟は釈放されると思ったからでした。「なぜ帰国していないのか」と驚いた荘生が「金なら部屋にあるから持って帰れ」と口にすると、長男は喜んで持ち去りました。

 ここで荘生は厳しさをみせます。再び楚王に謁見すると「恩赦は楚の人民のためではなく、楚の高官たちが賄賂の見返りに朱公(范蠡)の子を助けるためだと皆が噂しております」と伝えました。楚王は怒り、范蠡の次男を処刑した翌日に恩赦を実施したのです。
 長男が弟の亡きがらを抱いて帰ってくると、だれもが悲しむ中で范蠡だけがさびしく笑って言いました。
  吾(われ)固(もと)より其(そ)の弟を殺さんことを知れるなり。彼は其の弟を愛せざるに非(あら)ず。顧(おも)ふに忍ぶこと能はざる所のもの有るなり。
 私ははじめから長男が弟を殺してしまうだろうと思っていた。彼が弟を愛していなかったというのではない。(荘生に渡した大金を)思い切って諦めることができない性格だからだ――」

     

マルコの推測やけど、范蠡ハンはもともと商売人か庶民に埋もれてみんなとアホな冗談言って過ごしたかったんやろうなぁ

 

++マルコの学び++++++++++++++++++++++++
①世の中の仕組みと織りなす人の欲望を諦める
・王たるものをよく見て対処している
対呉国、そして人の欲望に対する深い慧眼。
度量の大小、名誉、地位、財貨への欲、自らをどこまで客観視できるかだ。自分が欲張りを認識できる人はほとんどいない。それが失敗へのスイッチ。
領土の奪い合いとはいえ、私怨がほとんどで狭量というしかない。

・讒言や妄想への対処
事実と推測想像は相容れない。讒言は現在でも日常茶飯事。それが本当のように広まって悲劇と禍根を残す。それを身に染みて、そういった悲劇の渦に巻き込まれぬように逃れるのが術だ。

・思い切る
人は権力や地位・富・財・技術などを持つと自惚れ・失うことの恐怖・さらなる貪欲・保身・猜疑・・などのあわれというべき感情の虜となるものだ。「句践は困難に苦しむときは是としても、勝者になった時には共にする相手ではない」と見抜く慧眼は大したもの。
災いのもとから去るにあたって、ためらいもなく“人が手放すことのできぬもの”をぱさぱさ捨て去りゆく。。
范蠡は決して人とは競うつもりがない。請われて受け入れても、地位や権力を手に入れることには無頓着だ。価値の中に入れていない。ほとんどの凡人は昇進すると、もっともっとと分をわきまえず欲を出す。それは身の滅びの一つの根源である。

 

②ゆるがぬ大黒柱を持つ
王様の臥薪嘗胆はどんなレベルか? 裕福でわがままを通せる王。
底辺を這う私どもには想像つかぬ贅沢だったろう。
そりゃ、ぜいたく税、有名税、臥薪嘗胆税ぐらい払わにゃいかん

そもそも歴代の王様は『自分の名誉と領土拡大の欲望』を適当に絹を着せているだけ。
悲惨な戦さで、無数の民が生産したものや命を奪い、名もなき戦士たちを踏み台にして得意がり後世に名を遺す。
例えば“アレキサンダー大王”という名前が付こうと、その本質は“殺人大王”そのものである。彼らが、苦しむ人々のために“粥を分かち合った”ことがあっただろうか。

范蠡もムーランもその温心を持っていた。私欲を超えて分かち与える慈心を大黒柱に持っていた。

 

 

③いかなる事態になっても変幻自在
物語ですぐ、分かっていただける。

物々交換の当時、春秋時代の末期は中国での本格的な貨幣経済が始まった。いち早く貨幣経済の本質を理解した計然、その指導を受けた范蠡はその最先端を実地に活用した。
范蠡は中国南部が米など産地だったのでその備蓄を図り、さらに貨幣経済での商品流通を円滑にして、国力の充実を図った。越はその後進性ゆえに他国の学者達を何のしがらみもなく活用できた:という。

范蠡は今に通じる柔軟な経済実務家として優れた手腕もつ。
 国際的なヘッジファンドから引く手あまたってところかなぁ

 

それは現代に通じる。旧制度の集中型金融仕組みから分散型金融De-fiへの過渡期の現在、
富というものの本質をつかんで国をきっと豊かにできるだろう。
例えば暗号資産がレンディングでは貸すだけで数%の金利がつく→ステーキングで10~100%つく、更にDEX(分散型取引所)でイールドファーミング(流動性提供)すると、持っていいるだけで10~1000%の金利がつくという昔の考えでは思いも及ばぬ。范蠡ならすんなり活用できるだろう。


マルコにはトンとわからない。