千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

嘘の人生・真の人生

わが父上はしきたりを守りつつも見ていた。

 

先祖の命日に坊さんがいそいそやってきて、手早く経を読んでありがたそうに説教し
お布施を嬉しそうに手づかみして立派な自動車で次の家に向かう。

 

「 中身がないなぁ」父上は笑っていたのをよく覚えている。
 

ある坊さんは「私は宗教で人に乞う和尚ではない」と毅然と言い放つ。

意味はわからなかったので覺是という 聡明な僧に尋ねると見事な答えが戻ってきた。


『 昔、ある人は出家しましたけど、衆生のために働くことではなくて、
  自分の生きることためです。ですから、
  大師は仏教に頼って生きる和尚になりたくなかったのです。
  自分の力で仏教を宣伝し、人々に役に立つことしか考えません  』

 

ほとんどが生活の生業を得るために坊主になっていることをこの坊様も父上も痛烈についている。  本人は気づかないが周りはちゃんと見ているのだ。


 この大師の生き様を見ていると慈しみをもとに人の悲しみを共にする、他のものと共に他のものをのために生きている    マルコは足元にもよれない

 

わが父上はマルコに養真という戒をくれた。誠に私にふさわしい

そして養老とともに生きる  養老とは年老いて質素な安楽ぞよし

 

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                  妙 音