千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 毎日が父の日・母の日


親のは心配り
子のは心配:worry で先を不安視するだけ


母上と暮らしていて、老いを吾身のように感じていた。
そしてその先に、親には到底及ばぬと気づいた------

 

あれこれの災いは避けるがよろしとのお告げで、
住まいを変えた。

 

引っ越し前に母上のベッドを整えているとき、
らりと一枚の紙が落ちた。


みるとマジックで

    【マルコではありません、自然です。】
                と書かれているではないか

すぐその心が拝察でき、目頭が熱くなり鼻水をすすったのだ

 

 

老いのボケを感じつつ吾が子を思う心配りをかくもされるとは・・・・
無口だった母上は、いつも立木の陰で子らのよかれを念じてくださる。
親という字そのものなのだ。

       

       

            名前はモザイクボカシです

その子らは何千年も続く“親の心しらず”

 

母上は、母上の自宅<母上亭>で、かわいがっていたメリー猫のように
スーッと肩の力を抜いて、お迎えを待っていた。

 

子らは自分たちのよかれと都合で、
もっとも好まぬ国道沿いの施設に入れられてしまった。

 

頭がしっかりして自然な別れをすることは実現しなくて、
完ボケで命を長らえさせられる不幸、ながい苦しみと退屈の時間に
耐えなくてはならなくなった。

おんなは美しい幕引きを希求するのに・・・枯れ木の老いとは

 

そうした吾ら息子たちは明日は我が道、
おいてボケが始まったら
その子らに放り込まれる宿命が待っている

約束をみなかなえてくれた父上母上に
約束をたがえてばかりのマルコは地獄以外どこにゆく

 

    【マルコではありません、自然です】

古いチラシの裏に見つけたマルコへの至高な心

見るにつけ、涙がポトリ鼻水ズルズル

        吾が宝になり、以来鼻水垂れとなった

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=kdEb-16-nyo

     春  陽だまり

 

    “長生きはいりません、自然でこと足ります”