千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

孫の手の薫陶

                               

                                               五本の孫指

     ただ、ただ敬服している

 

マルコは生活諸事を単純化する

 

桶屋が儲かる方式で
脂を摂り過ぎないようにして
衣・身の洗濯を簡素にした

残った時間を、じっくり深く味わう・・

 

こないだ参加した鈴木大拙館の
    「宵・思索の薫り」


近くのお茶舗が席を設け、加賀棒茶を振舞ってくれた

達人が入れたその茶湯は、取っ手付きの
手にすっぽり載る九谷焼の茶碗で香り立つ


母の煎ってくれた茶の香が懐かしく思う
寒い夕闇の中で立ち上がる湯気のぬくもり

 

 

遅く帰宅して床に入ったら
夜中に目が醒める。

かゆい! 背中の真ん中が!
    加齢性脂欠乏かな

 

右手は余り後ろに届かない
左手も新コロワクチンで痛んで掻けない

 

夜床であったまると、痒さがでる
ひとたび念を置くと、妄想膨れ上がる・・・

ま、ま、孫の手がいる!!!
   かわいい孫、おらん!
もし今、孫がちっさな手で掻いてくれたら極楽至極

 

この道具も名前も、生活感が薫る先人の知恵

物差しで掻いても、柱で掻いても役立たず、
闇の中裸になって、ナイロンたわしを背に左右して
  熟睡を得た

 

大拙いわく
    「 薫りはその人の一部である、
      あるいは、全部であるといってよい 」