千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

心こもったお布施


今なお思い出すだけで心が温かくなる

 

・・・・・灼熱のラオ(ラオス)・・・・


真っ昼間にボったくりミニバスから降り立ち到着。
ひさしもボロボロの民家が並ぶ田舎町だ。

 

腹ぺこのマルコはヨロヨロ歩く。日差しが骨までしみ通る。


向こうからいい匂いがするやおまへんか!こりゃ、おこわの匂い。
店のおばちゃんに湯気立つ釜を指さした。
何も言わず、釜の蓋を開けて真っ白な炊きたてご飯を皿に盛ってくれた。
関西弁で礼を言い、むしゃぶりついた。なんと美味いことか。
蒸したおこわだけだよ。

 

極楽気分でその味を堪能していると、そっと冷えた水を出してくれた。

おばちゃんのしわ顔がほころんでいた。
仏教国ラオスだから合掌して礼を顕す。
料金をとらずけろりとして、釜の前で飯を盛っている。

 

 

全ての若者が出家して寺で修行するしきたりのラオ。朝早くに起きると爽やかだ。


僧と同じ黄橙色のTシャツを着る。僧は裸足だが、マルコは靴ではなくビーチサンダルにした。そんな出で立ちで托鉢の列から少し離れてついて行く。


先導する本物の僧侶は威厳深く道で待ち受ける人々に水で祝福し経や呪文を授け、若い修行僧は少しぎこちなく鉢で人々の布施を受け取る。


日が昇る前から作った食ものやら、金を出して買ったお菓子、実用品などだ。


道で座っている人々は恭しく朝の教えを受け取り、喜々として布施を捧げる。


時折、マルコにもどうぞと布施のお裾分けが回ってくる。
僧に習って、瞑目し受取り、日本語で礼を述べながら合掌する。
その時のおばちゃんちのうれしげな顔は忘れることはない。正に純粋無垢の施顔なのだ。


都会で商売人が金へのお愛想笑顔とはまるで違う・・・
損得の汚れを拭い去った美しさが朝日のようにしみ通る。

 

托鉢を終えた僧たちは寺に戻って、経を唱えて後朝ご飯をいただいている。
マルコは緑の木陰で三種類の托鉢をいただく。それぞれ工夫が凝らされて、味も色もそれぞれ、素晴らしい調味料の慈愛のふりかけでとびきり豪華な朝餉になった。

 

 ここ金沢、前の町内会世話役が、好きなだけ持っていってという野菜・・・
緑のトマト、ラグビートマト、丘わかめ、茄子など時折いただくが、なんというか心込めて育てた味わいがある。
金の関わりがないと、さほどに心が感じられる。