千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

油は上に  :マレーシア

マレーシアでは三日すると、小さなニキビが出来て、脂がコロコロと噴き出す。
ベトナムではそんなことはなかった。

        

 


何しろ、暑いからピリ辛に揚げ物が主体となっている。魚も、鶏も、牛豚も。
煮込み料理さえ、油を使ってる。腐敗を防ぐためには理にかなう。

 

     


これほど油を多用すると、細っそりした娘が成人すると安定姿になってしまう。
日本はまことにかわいいものだ。

マルコは、三食マレー・インドネシア等の料理を摂ると皮下脂肪になる前に、脂が首から上に出る。


お医者が言っった。
「脚は乾燥肌ですね、クリーム塗りましょう。
 頭は皮脂過多ですね、脂漏性皮膚炎」

 

なぁるほど、油は身体の中でも上に浮く。

 

        

        

 

芭蕉飛び込む  : ベトナム

  
ベトナムのホーチミンでも蛙が鳴く。

 

    古池や 蛙飛び込む 水の音

 

 

ベトナムのホームステーで広々したバスルームには

    月の夜に やもり鳴くかな 蚊が震え

ベトナムの家守はゲッコーといい、3-4センチで愛らしい

 

 

仙厓和尚は、笑顔で唄う

    古池や 芭蕉飛び込む 水の音

 

       


<池のほとりで蛙が腕組みをして「お、芭蕉が飛び込んできたぞ」とでも言いたげに眺めている滑稽な姿が描かれてます>

衣

マルコは現地の衣についてかたることはまれだ。
まず関心が少ない。暑さ寒さを防ぎ、羞恥を覆い被せればよい。

 

次に現地のお人より惨めな身なりだからね
 マルコ帽子ほどドコにもないヘンテコでみすぼらしいものはない。
 ただ、機能的には最高だ、と自負しておる。

 

おおよそ現地人に似た服を着ると間違いない。
ポロシャツでも着てみると、立派なもんだ。
ステテコが一番、だけど、市場なんぞではおっさんもおばはんも何故か股間を握りしめる。
「OH! ノー!」

 

宿泊所は綺麗な大理石張り。どうしてなのか知らない。
マルコは地元人に合わせて、素足で歩くが、足が冷えてしまう。
頭は気温で熱い。自律神経には良くないから靴下はいてベッドで足を温める。

 

マレーシアの店ではイスラムの礼儀で頭の先から脚元までの黒いドレスをまとう。
いつも、いいなぁ・・・温かそうで、と羨やんでいる。
冷房時は汗をかいてるこちらは震え、対応者は快適なのだ。いつも、熱い茶やコーヒーを注文する。手持ちのセーターを着込む。

 

挙げ句の果ては冷房病で数日寝込む
   もう慣れました。

Grabタクシー万歳!   😍


日本でもGoがあり、車タクシーが主体で手数料が高い。

ベトナムでは断然Grab。
トナムの都市部では、昔から移動手段の中心は自動車ではなくバイクだ。
道路はもとより歩道にさえバイクがあふれ、一般人もバイクは身近な乗り物だった。
そこから、便利この上ないGrab登場となったのだ。

なにしろ、
    スマホで呼べる
    料金が事前にわかる
    値段交渉が不要
    行き先を言葉で説明不要
       雨が降ったらカッパが出てくる
       荷物は前に積んでくれる
バイクでも、自動車でも選択できる。

車タクシーは三度ほど利用したが、バイクの爽快さに及ばない。
もともと、ベトナムバイクは車輪が大きいから安定走行だ。
車間距離50センチなど広い方で、20-30センチでも見事なハンドルブレーキ捌き。
時には逆行してくる強者バイクもけろりとすり抜ける。

また、音が小さくなった。これは電気バイクだ!音もなくすぅ~っと走り出す。
運転手は老いも若いも様々で、プロのハンドル操作が爽快なのだ。
「ようやるは!!」のただひとこと。

 

       

 

立派な自家用車など周りを整然と走り抜ける雲霞のごときバイクに囲まれて、遠慮がちに走ってる。

予約アプリは、ぼけ老人でもすぐに慣れるから是非使ってみることを勧める。
初めドキドキ、後はいつも爽快爽快


       

          よーいドン

食パンは高級品 ベトナム

ベトナムはフランス統治時代の影響もあって、ベトナム風フランスパン「バンミー」がおいしい。
大きさがまちまちだけれど、20センチほどのコロンとした手頃の大きさで、25円から30円程で手に入る。

      



これが好みで、しょっちゅう買ってかじってる。

米粉の入っているのもあるそうで、おいしい。

サンドイッチで買っても120円ほどでどっしりと重たくて満足する。

      

旅行で、携帯食代わりにビスケットや食パンを買う。

ベトナムで食パンを探すと、あったあった--が、180円ととても高かった。それに少ない。
どうしてかな?といつも疑問に思っていたが、どうやら乳製品が高くてそれを使う食パンは高級品だとか。フランスパンには乳製品は入っていない。

 

なるほど、じゃあバンミーをという訳で沢山バンミーを食べた。

 


昔、ダラットへ行く途中のバオロックで足止め食って、長く滞在した。テトの頃だった。
地元の窯焼きパンは人気で早朝から行列が出来ていた。細長いフランスパンで五円だった。
味も食感もよかった。何十本食べたろうか。地元人となじみになって、列の順番を譲ってくれた。
忘れることのないバンミーの楽しい思い出だ。

     

            これは高級パン 二倍の価格

 

チャウキットの橋の上-2 見上げてごらん


私の言葉遣いが良くなかった。
 ホームレスとは 米国人の言葉である。 


チャウキット橋に住まう二人の若者はホームレスではない。二人の住まいは 橋の上。
 

ハワイのホームレスは当然とされる“Home”を持てない 惨めな表情をしていた。
 チャウキット橋の住民は顔が喜々としていた。

ある時鉄のバールを振りかざして身なりの立派な若者たちを、上半身裸の仁王様のように追いかけ回していた。どうやら身なりの立派な若者が二人をからかったようだった。

 

すぐ数百メートルほど離れた公園におばさんの移動住民がいる。
洗濯物をうまく干して家財道具を見事に台車に詰め込んでいた。

 

こうした暮らし方もあるのだ。

 

 

 

     

    

       ♪ 見上げてごらん夜の星を  ♪

             見上げてごらん夜の星を
              小さな星の 小さな光が
               ささやかな幸せをうたっている
         見上げてごらん夜の星を
             ボクらのように名もない星が
              ささやかな幸せを祈っている

        手をつなごうボクと
           おいかけよう夢を
             二人なら
              苦しくなんかないさ

                          繰り返し

ふふふ ?  目的地より途中


交通の要所KLセントラルに出向いた。繁華街で、若い人々が行き交う。

 

荷物が重いので、Dr. Locker という自動ロッカーに預けようかと思った。
お!あった。 なぁに?  顔認証・指紋認証式だと?また機器にアホ扱いされるのか?


小型で25リンギット=千円ほど。やめた。
この首都は初期投資回収にあれこれ4倍に値をつける。
単なる節約ではない、実験台にされるのでアホらしいことに費やさない

若い頃なら、ロッカー代が高いから使わないで終わるかもしれない。


そのRM25があれば、高級店でお茶を飲める。
カヤトーストとミルクティーを楽しめる。
ベトナムあんみつ五杯食える。
軽い食事もできる。
人々が暮らしで食事するとこでなら豪華な夕食がふんだんに食える。
その時間をゆったり過ごせる。

 

そこにはお金だけでなく、時の味わいが入っている。
若いころは目的地が大事。 今は途中が大事。

 

荷物を運ぶしんどさから解放されて、あちこち見歩いたり、店を覗いたり、土産を算段したりする。あげく荷物も財布も軽くなる。

 

 

もしその費用があれば、もっと豊かな時間が過ごせる。。
緑のある静かな所で、景色の移り行く流れがなんともこころに涼風を感じ、
空港の窓から飛行機を眺める時間、
ふと通り過ぎる人々との会釈が嬉しい。


手持ちの紅茶を飲みながら、いつでも口に出来るビスケットをポケットに空を見上げたり、雨粒の舞踏を見ている方がいい・・・・
となってしまう。
このときお金は一銭も動かなかった。
でも価値はたくさんあった。

橋を渡る風、窓辺を流れる雨、 見知らぬ人との会釈。

そういうものは料金表に載っていない。

 

旅も人生も、目的地より途中。
高級より安い、あるいはタダ同然のお茶の方が豊かなことがある。

       

            ポケットの中にはビスケットがひとつ♪
            ポケットをたたけばビスケットが二つ♪
              そーんな不思議なポケットが  ♪

 

チャウキットの橋の上    時事

クアラルンプール滞在も終わりに近づいた。


むかしから私は少し変わっていて近頃確信に近くなってきた。


以前なら本音として、
「貧乏神はあっちへ行け」  「困難は来るな」 と思っていたかもしれない。

 

ところが今は、「貧乏神さん、いらっしゃい」 「おや疫病神さんもおいでやす」 「挫折の神さん、まぁ一緒にお茶でも飲みませんか」「化け物妖怪どんもま一服」

 などと思うようになっている。

先達の教えに触れたせいかもしれない。あるいは、旅でさまざまな出来事を経験したせいかもしれない。

 

 

昨日、灼熱の午後だった。
チャウキットの近くの橋の上を歩いていると、涼しい風が吹いていた。
橋の欄干のそばで、二人のホームレスがトランプをしていた。特別なものは何もない。卵ケースが沢山あったのは覚えている。
ただ二人で札を切り、笑い合っている。その様子が実に楽しそうだった。
私は思わず声をかけた。「いいなあ。私もやりたいな。」 もちろん日本語である。相手には通じない。
だが二人は私の顔を見て、にっこり笑った。その笑顔だけで十分だった。

 

人はホームレスを見ると身構えることがある。 避けたり、嫌ったりする人もいる。
しかし私には、そこにホームレスは見えなかった。
ただ夕暮れの風を楽しみながら、トランプに興じる二人の人がいただけだった。
言葉は通じなかった。名前も知らない。それでも笑顔は通じた。


たぶん旅とは、有名な観光地を見ることだけではない。
見知らぬ国の橋の上で、見知らぬ人と笑顔を交わす。そんな一瞬こそが、長く心に残るのかもしれない。

 

チャウキットの熱風は心地よくなってしまった。


そして私は思った。
この世には福の神だけでなく、貧乏神も、疫病神も、ホームレスも、旅人もいる。
みんなまとめて、「まあ、いらっしゃい」と言える心になれたらいいなあと。