千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

世界の縮図:ココア暴騰

五年ほど前にパラジュームがあげだして
白金の三倍ほどになった。

 

昔、むかしそのむかしのパラジューム1g500円ほど
先の高値は九千円~一万円強
うそや!と目を点にしても、ほんまの話や

今白金と同値

 

      

          これ2月初旬 今もっとあげて高値波乱

 

そして今、恐ろしく騰げてるのがココア騒ぎ
カカオ豆を発酵させて作る美味しいチョコ
ガーナなんぞでは、金鉱開発でカカオ園が荒らされてるとか・・・

 

途中でほんの少し下げた期間があったが、売りを誘って
倍返し以上の急騰!


買っても売っても地獄の入り口だ

女は入ってはならない、美容の大敵

 

世界中で上下を取る投機博打が主流だ。
奪い合いの戦場で死屍累々となるだろう

しらぬが仏


京都にうなぎを奉る三嶋神社というのがある。

 

宮司は21代目で代々ウナギはくわんそうな。
あるお人が「さぞ辛いでしょうね・・・」というと
「そもそも味をしらないので」と食べたいとも思わぬとの返答

 

そうだよ 一回グルメしたら、またまたしたくなる
たのいきもんとは違う、人の欲深さ

 

 

金持ちになったことがない   
詐欺的結婚のひどさで、その甘さをしらない
貧乏だからね、贅沢できない
40年間病気だったから、少し健康になったらありがたやぁ~
有名になるはずないから、落ちぶれることもない

不便な昭和時代でGoodだから、超便利のあれこれは気色わるいね

 

父上に教えられた、他と比較することが少ないから
極楽とんぼですいすい飛べる   

極楽渡りトリ マルコ   ありがたや

 

        

 

それぞれのレットイットビー

若いこと気づかずにいた若い頃    逃げた魚
人知れず咲いた跡あり落ち椿    (愛)

 

 

あめとむち誰が食ったか鞭ばかり    出遅れぼんぼん
北風や獅子の目尻にたまる水    新子
悩まずにじっと日の出を待っている    霜石

 

 

引き出物コレクターかと母いやみ    三十路女
男運悪くて自立できました        三宅

 

 

持ち家の夢は枯れ野をかけめぐる    場所う
金運はなくても三度食べている    新

 

 

 おねしょ自慢


ながらく、きっと小学生後半だと思う
何時までもおねしょ小僧だったらしい

はげが目立つ頃、母上は懐かしそうに述懐していた
「まるこ、神妙な顔して一生懸命洗っていたわ」

  記憶にございませぬ
  笑いの元ならお好きなだけ

 

        

            当時はこんな本もあるもんか

 

飲んだら出るワぃ
これからもドンドンやるよ

  欲望の宴を眺める眼差

      

 

なんだか
遠いとこから見つめてる
 その目、 感じる

 

 天地の間で汗をかいて 種まきをし 
世話をしたものに実りは託される
 それを皆で分かち合う


これ 堅実で何万年も長続きする

 

 

 マーケットという賭博場には
欲張りたちが押し寄せて 独占を競い合う

 

      



政府こぞって賭博なるものを『投資』と見栄えする紙にくるんでる

 

  本質は、合法という名のもとに奪い合う
「 奪い合いの宴」 がフィナーレ へと向かう


 あと半年?
 1年?
 2年?   はいそれま~でぇよぉ
      マルコには分からない

        

         ねこもしゃくしも



 

この世を司る摂理という神様は 
厳かな眼差しで宴の人々を見つめている

 

最上のわざ


この世の最上のわざはなに・・

 

 

楽しい心で年をとり
働きたくとも休み
喋りたくとも黙り


愛するものとも距離をとり
失望に沈むときにも希望し
ただ順天に、淡々と
おのれの辛苦を担う

 

 

おのれをこの世につなぐ鎖と
おのれといにしえをつなぐ鎖を
少しづつ外してゆくのは
まこと、えらい務め・・・

 

 

若人が元気いっぱい道をあゆむを見ても、ねたまず
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり
弱ってもはや役だたずとも、親切で柔和であること--

 

 

こうして出来なくなること増しゆくと
あとは、いのりだ
天は最後にいちばんよいことを残してくださる
手は何もできないけれども合掌できる
やさしく鎖も心もとかせる

 

 

至らなくても、すべてなし終えたら
臨終に天の声を聞くだろう
「来たれ、わが友よ。天、汝を見捨てじ」と

 

 

   上智大学学長を務めたホイヴェルス氏がドイツに帰国後、南ドイツの友人から贈られた詩
           2004.3 石垣島の図書館にてマルコ追補

 

 

         沙羅の花夢のごとしと語り終ふ    (岡田万壽美)

 

      お迎えちこうなるとね、この詩の慰みが染み入る

 

昨年は多くの人々が逝去した、

友人たちは年老いてかっての面影が薄れてくる

 

若い人にはまず分からない

 

 

 

 

うざい響き

汚くて使いたくもない言葉をタイトルにしたよ。

 

 五十年前、---マルコ 「問題だ」は ニュースでよく報道されるが いろいろあるんだ、よく意味を汲みなさい---
 私を育ててくれた素晴らしい上司が教えてくれた。

 

 

 ここ10年 ニュースでは「何々を確認」ばかりを連発している。 何でもかんでも確認の一言で片付ける。

若者は「 マルコ キモい」「そんなん うざい!」 と連発し、 ペットショップで女の子は 兎こうに頬ずりしても、ハムスターをなでても、亀をつついて金魚を見ても、ヤモリ やヘビを見ても「可愛いぃ」と嬌声をあげる。

         

              

ここ1年 ありがたい言葉が堕落させられてきた。「かおり」というのは特別に取っておく言葉だ。ところが 最近は臭いも匂いも 香りも薫も ごちゃ混ぜ。 バラは香り。しみ込ませるのが薫。 近頃はそれを含めてペットの匂いも体でも、食べ物の匂いも屁でさえ香りに成り下がってしまっている。 

 

お気の毒様「香」さん。「ありがとう」さんもハイパーインフレ気味。

 

連発されるものは単なる響きだけで、何の価値もないから使わぬようする。