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千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 来る道、行く道 < ⑮ 喜びの時 :ベトナム Tay Ninh カオダイ調査 >

 


床について休んだ後、夕刻の礼拝には
痛さを道連れに参加した。

カオダイ聖堂では普段通りの礼拝が、
淡々と執り行われていた。

    

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大鐘のゴーンという合図とともに、
ひれ伏す動作が痛くて仕方がない。

このごろは、野武士風風紀委員がここに座れと、
いい席を示してくれるようになった。

周りにも信徒が礼拝しているので、
彼らを観察している。

50過ぎであろうか、ある男は瞑目して
ひたすら礼拝に集中している。
それを、学問的には『トランス状態』とかいうのだろうが、
冷たい言葉だなとおもう。

満瑠壺には『人生の苦難を乗り越えた末の、
大いなるものへの帰依』として
崇高さを感じざるをえない。

そのうしろ60センチほど離れて座っている少し若い男は、
真摯な眼差しで前をみつめ、何が起きようと礼拝を続ける
意志をみなぎらせている

聖堂に参列、座する女達も曲と聖歌に合わせて
祈りと五輪倶屈のような動作をくり返す。

 

      

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           礼拝 命


この姿見ていると、なにかしら
輝く人生の費やし方の方法を見る思いがした

満瑠壺もマン一家の平安を願って礼拝を続けるのだった