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千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 来る道、行く道  < ⑭真夜中の祈り 6/7 :ベトナム Tay Ninh カオダイ調査 >



古武士風紀委員のおっさんの誘いに従って
夜中11時半に目覚ましで起きた。眠いなぁ

こんな夜中に祈りをするなんて酔狂な!
と、ブツブツ思いつつ大通りを行くと
大型トラックもほとんど通らず、ガラガラだった。

寺院への大門は広々と開かれていて
門前の物売りもおらず、人っけ一つない。
深々と静まりかえる森では、猿たちも
眠りこけているだろう

 

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          眠気の中の聖堂


大聖堂に入るや驚いた。
なんとまあ、信徒達がいつもの通り礼拝しているではないか。
この12時いや74時にだ。

もちろん、少し調子っぱずれの二階の弦楽器演奏も、
子供達の聖歌も聞こえて来るではないか。

 

       

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たとえ、昼間の三分の一の数にしても
その熱心さと敬虔さに頭の下がる思いで
皆と同じように礼拝を重ねた。

半分眠りながらの帰り道、信徒がよってきて握手を求め
記念に日本の硬貨があればとねだられたが、あいにく持ってない。
あとで持ってくるよといったが、どの人だか見分けがつかなかった。

祈りというものは、一体彼らにとって何なのだろうか?
礼拝をこんなに熱心にするのは、なぜなのだろう
人生の中で主要な位置を占めていると感じざるを得ない。

その意義であるとか、狙いとかを探るのは、ひょっとしたら
彼らにとってお笑いでしかないのかもしれない。

 

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              食うのが一番