病院はやまいの院である。
長らく観ていると、色々なこころ模様が見えてくる。
病の痛みにのたうつ人、
病のすごさを自慢しあう人、
病をパスポートにねぐらとするちゃっかりおじさん、
盲目になってもこっそりと酒を飲む糖尿はん、
夫の浮気妄想でヒステリー入院する富豪の奥さん、
後悔と不安の海でおぼれかかる爺さま。
真面目なお人は、えてして毒矢を射られる。
有り余る時間の中
「バーをやってるやろ、夜おそうまで酒に付き合いながら
やっとるから、むりしてなぁ。別の仕事にすりゃよかった」
「ひどなったら、これから嫁はんどない養おを・・・」
「サラリーマンはええなぁ、毎月全額でのうても収入あるし」
「アンタ若いからエエけど、わしこれからドナイしょ」
マルコ「そりゃえらいこってェ・・・・・・・・」
多くの人がそうだった。
苦を苦しむ螺旋階段を転げている。
マルコは運よく、考えることもままならぬ瀕死だったので、
そんな螺旋階段にも行けなかった。
誰しもが不運にも病という矢が刺さってこける。
入院して矢を抜く手当てしてもらう。
ところが、たまたま矢尻に毒が塗られて、それが心身を蝕む。
お医者さんも看護婦さんも潜む毒、後悔と将来の不安には
余り対処できない。
毒を矯める十薬(どくだみ)
中東のアラブ・イスラム社会で頻繁に使われる
“マレーシ”というのがある。
モスリムがマルコの足をグイッと踏んだとする。
するとそのモスリムは「マレーシ(マレッシュ)」という。
気にするなといういみだ。
自動車をぶっつけてきても、その加害者が「マレーシ!」
マルコならそこで怒るが、向こうのお人は
それが理解できないのだそうだ。
けれども、これもおおらかな智慧であると気づいた。
「気にしないで」「大丈夫」の裏にあるものは、
「あぁ~、やってしもた。そやけどなぁ、あんた
それで色々思いわずらって、苦しまないでね」
という心根がふんだんに込められている。
でかいペットに足を踏まれても、石につまづいて
しこたま指を撲っても文句は言わない。
日本社会では社会規範が事細かく人を縛っているから
複雑にこころが患う。
アッラーの神の思し召しだから、
矢毒に苦しまんといてなぁという
慰めの言葉でもあるマレーシ。
これからのあいことばにしよう。
マレーシ
毒消し 柳行李
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