千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 貧しさの中で光るもの 


曾野綾子の背骨が通った文章は好きだ。
例え物議をかもしても。

夫の三浦朱門の、論点を分かりやすく
平易に表現する力にも憧れる。

朱門の昔話に青春時代のデートの話がある。


「物がすべて不足していた時代だから、
娘がこれという男子を射止めるのは簡単だった。
手作りの旨いオムスビを心を込めて作り
にっこりと食べさせると、たちまち感激、
これはいい子だと信じて結婚にまっしぐら」

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               心を込めて手握りよ


こんな素朴な話は、豊かな現代ではお笑いである。
それは、若者にとってある意味不幸だという
相手への特殊な気持ちを伝える機会が少なくなっているからだ。

「今では青年はどうやって娘を誘うのだろうか。
娘はどうやって彼を惹きつけるのだろう」
と朱門は思いを馳せる。

「近頃若い男女がデートするときのプレゼントになる物が
なくなったようだ。
劇場や公園がデートを誘う場にもならないようだ」

なるほどすべてが満たされ日常化されすぎて、
感激する機会がなくなったのかもしれない。

ただ、口だけは『すごーい』を連発するけれど。
『感動した』と軽々しく口から出るけれど。

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               すごーぃ この値引き

           縁むすびにしたら売れるでぇ