ベトナムの仕事を終えて、二週間ぶりにほっとひといき。
旧市街区にある人気の宿舎(accomodation)で心を癒やす笑顔にあった。
この西洋人が多い宿舎は、アジアの国々からの若者をスタッフにしている。
A君はひときわ大声で明るく受け答えする。ミャンマー出身で、両親を亡くしたとこっそり言った。独りで生き抜いている。
B嬢はそこそこ美形なのに何か修羅陰を潜ませながら、大声で受け答えしている。体調が悪いのか、時折びっこも引いていた。
中国系のC嬢は人の言うことを聞き分け、心地よく接してくれてありがたい。数日後いなくなった。
D氏は穏やかなマネジャーで、名古屋の歯科医師が祖父だという。それで、同年生まれの私に親しみを感じてくれ、祖父がそうだったのだろう、「サムライ」と呼んでくれた。
E嬢はお狐さんを思わせ人なつこく相談に乗ってくれる。そしてその笑顔が美人に仕立てていた。どこからそのような素朴な笑顔が生まれるのだろうか?とため息とともに不思議だった。媚びなどひとかけらもなく、相手を受容し何か役に立つようにとの心が感じられる。
あのドリアン! 猫山印 マレーシア
人はそれぞれ道を歩む。“自分の得”を潜ませて、あれこれしてもそれはいつか露わになる。損得の関係は、「損!」って判断した後にはすぐさま消え去る。
愛憎の関係は、コロコロ変わる。
道を目指す同志の関係はずっと続く。