千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

魚の泳ぐように :養眞14

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マルコが産まれた年、
鈴木大拙先生がかたる。

 

 

禅による生活は単に道徳的だということ以上である。
道徳は束縛する。

 

禅はもっと広い自由な生活の領域に人を解放する。

 

道徳は創造的でない。
したがって道徳は単に道徳だけのものにすぎず、
それ以上であることはできないものだ。

 

禅による生活とは、(生活)そのままであるということ、
(生活が)そのままで完全であるということである。

 

それは常に自ら働きかけ、そのもてるものを与え、
決してそれ以外のものであろうとは
試みたり工夫したりしない。

 

禅に生きればいかに荒天であっても日々是好日である。

 

道徳は 善悪・正邪・徳不徳 などの諸観念によって常に自縄自縛となり、
これらの観念を超越することはできない。
もし超越すればそれはもはや道徳ではない。

本来道徳は自由、自立とはなりえぬものである。

 

けれども禅はいかなる観念にも束縛されることはない。

    鳥の飛ぶように、
    魚の泳ぐように、
    百合の匂うように
    自由なのである。

 

 


まことにまことに、養眞そのものなのである。

道はただしくても、Goalは遥か~。

 

 

 

マルコ註:  よし葦=蘆あし=葭 
     自由=みずからによることで、本当のじゆう
     禅:人間精神の達しうる極限への道を示す

 

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      仙崖 茅ねずみ 「マルコよ、魚座だったな」     ↑ 家

 


   <養眞とは、父からの遺言でもあり
      友人達の創ってくれた戒名>