年令ばかりを聞く老人たち
話題がそこに集中するお年頃
もちろん国内でもだが、特に海外で年配の男は必ず口にする。
多分、日本は年齢社会なのだろう。
それはどういったことかと問われると、
人の属性で、男かおんなか?と年齢いくつ?が重要視される。
海外ではほんにまれなこと。
父の友人だった作家の中浜さんだったか、愉快な小説の中で
橋の上で「おたく・・・おんでっか?めんでっか?」との会話は
冗談めかしてるが本当のことだ。
犬が鼻突き合わせしゃべってる場面だけどね。 笑
かってベトナムのバス中で、オーストラリアから来たJapanおっさんが、
懐かしげな目つきで日本語で語りかけた
J 「マルコはん、おいくつで?」
マ「はあ、切り上げで100ですねん」
J 「え! ほんといくつですん!!」
マ「へぇ・・・」
不満顔でおっさん一段と声を張り上げて曰く
J 「マルコはん、女いませんか、いくらです?!!」
マ「はぁ?わて、斡旋業やっとりません ほんま縁ないしぃ・・・」
今回も日本人と会うと
「いくつ?」
と子供に聞くようにいわれる。
としいくつ ななつぅ
マ「切り上げで百才!」
Malaccaで気のあう年配の人だったが、三度こころみて
“マルコ百才にして言わず”に口惜しげに口を閉じた。
としいくつ そんな事しか話題ないの!
特に異境の地では人と人との付き合いに年齢は関係ないのだ
それ以上に、ずっとずっとずっと大事なことがある。
五十才過ぎて成長の止まった人はむしろ退歩しているから
魂齢青二才に成り下がる。
昨日より0.2歩でも進んでいたらそれはめでたいこと。
酒はそれを祝うもの。神への捧げ物だ。
人と比較して何の意味があろうか。
百才マルコに年はなく、そして
マルコは世界人でありまする
髪黒くして賢人 竹林の七賢