日本では、英語を喋りつつ外国人と飯を食うことを横飯と言った。
慣れない人は、食事も味わえず、五分でくたばってしまうから
横飯といって難行苦行とされた。
海外経験のある会社員がいう
「自己主張がいる英語のとびかう食事はのどに通りません」
中国に行ったら縦飯となって一緒だ。
一方、禅宗のご飯はより高まるための修行だから、
言葉はない、あってはならない。
なぜなら恵みの福報に感謝できなくなるからだ。
これはマルコにとってありがたい
いらん脳みそ浪費がない上に、
意識を食べるありがたさに集中できるからだ。
黙飯だいすき!!!