千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

食の神域、所作の深まり

   

最近、食事がおいしくなった
     
何故か不思議

材料は友人からの差し入れと、近所の庭作物、野の野菜(草)。


去年の国際セミナーで知ったことがある。

「箸を横に置くのは日本だけ。
 これは、結界で向こう側は神さんの領域なんです」

喫茶喫飯といって、今ここでの時間に集中しましょうと昔からいわれている。
禅の修行をしていた父は一箸の食べ物をじっくり味わっていた。

近頃、人と食事をすることがめっきり減った。

喫茶喫飯をするには、忙しいお人はおじゃまさんだからだ。
お茶を飲むときでさえ、頭の中に世俗事渦巻く。
お茶のことは目にも口にも入ってないので、味わい時が疲れ時となる。


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              鹿を追う者山を見ず
             https://cakes.mu/posts/902


 茶食を同じくする喜びは、
お茶や食事の味わい、器の温かさ、立ち上る湯気のくつろぎ
ほのかな香りのいとおしさ
何よりも作ってくれた人の真心を味わってくれる人と一緒の時だ。

話は普段の三分の一でよい。

ただただ、天地の恵みを体全体と、体に共に生きる微生物たちと
そしてこの時間を共に楽しめる友がにっこりしてくれる・・・

これを“幸せ時”といわずしてなんであろうか

日常家事、仕事、散歩、歓談・・・変哲もない普通の行為を
このような質を変えることで、
人は健康と平安の階段をのぼってゆく。

 

 

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              まずはお茶でも