最近、食事がおいしくなった
何故か不思議
材料は友人からの差し入れと、近所の庭作物、野の野菜(草)。
去年の国際セミナーで知ったことがある。
「箸を横に置くのは日本だけ。
これは、結界で向こう側は神さんの領域なんです」
喫茶喫飯といって、今ここでの時間に集中しましょうと昔からいわれている。
禅の修行をしていた父は一箸の食べ物をじっくり味わっていた。
近頃、人と食事をすることがめっきり減った。
喫茶喫飯をするには、忙しいお人はおじゃまさんだからだ。
お茶を飲むときでさえ、頭の中に世俗事渦巻く。
お茶のことは目にも口にも入ってないので、味わい時が疲れ時となる。
鹿を追う者山を見ず
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茶食を同じくする喜びは、
お茶や食事の味わい、器の温かさ、立ち上る湯気のくつろぎ
ほのかな香りのいとおしさ
何よりも作ってくれた人の真心を味わってくれる人と一緒の時だ。
話は普段の三分の一でよい。
ただただ、天地の恵みを体全体と、体に共に生きる微生物たちと
そしてこの時間を共に楽しめる友がにっこりしてくれる・・・
これを“幸せ時”といわずしてなんであろうか
日常家事、仕事、散歩、歓談・・・変哲もない普通の行為を
このような質を変えることで、
人は健康と平安の階段をのぼってゆく。
まずはお茶でも