ある物語
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人の世界で悪事をなし、死んで地獄に堕(お)ちた罪人に、
閻魔王(えんまおう)が尋ねた。
「おまえは人の世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか」
「大王よ、わたくしはそのような方には会いません」
眉をひそめた閻魔様は
「それでは、おまえは年老いて腰を曲げ、杖にすがって、
よぼよぼしている人を見なかったか」
「大王よ、そういう老人ならば、いくらでも見ました」
「おまえはその天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、
急いで善をなさなければならないと思わず、
今日の報(むく)いを受けるようになった」
「おまえは病にかかり、ひとりで寝起きもできず、
見るも哀れに、やつれはてた人を見なかったか」
「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました」
「おまえは病人というその天使に会いながら、
自分も病まなければならない者であることを思わず、
あまりにもおろそかであったから、この地獄へくることになったのだ」
「次に、おまえは、おまえの周囲で死んだ人を見なかったか」
「大王よ、死人ならば、わたくしはいくらでも見てまいりました」
「おまえは死を警(いまし)め告げる天使に会いながら、
死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。
おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない」
(パーリ、増支部 3―35)
『和英対照仏教聖典』185頁14行-187頁15行
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移ろいかわる浮き世で、へらへら生きていた若いマルコは
三十代にいろいろな三天使に会うはめになったのです。
百年も長たらしく生きなくてはならない不幸な現代では
長くもつらい老いの時をどうして送らなくてはならないかを
かこち嘆くのです。
フン!わたしゃ違う
そこでマルコが工夫した一つは、七×でした。
一年は0.7年とします。一月は三週間、七十才は人生五十年の頃と同じ。
世の変化は早まるけれど、時間の密度を希薄にしたのです。
あとは人生密度で人それぞれといえましょう。
これからしばらく、長寿を願った人類の行き着く
老いの嘆きについてシリーズで記事します。
佳人薄命 Whom the Gods love die young.
本当の神に愛されたいものです