千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 愛を灯しゆく人々   :台南/台湾

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                      星野富弘 いのちより

 

 

愛を消しゆく人には沢山出会った。
己の欲望Firstして、ワシがワシがと独占する。

 

 しかし分かち合いながら、灯しゆく人のそばは温かい

 


金沢で地元出身の八田のことを知った。
どうしてその名を忘れなかったのだろうか?

 

それはきっと日本よりも八田が業績をあげた台湾で
慕われつづけた人であり、

妻が殉死までしたからだろう。

 

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         夫妻を讃え、感謝する詩    

台湾にゆくときには記念館とダムをみてこようと
PCにメモしていた。

 

八田與一紀念公園(はった よいち)へ行った。
そのきっかけは、今回の目的“佛光山・大修行”を終えて
娑婆に戻ったとき、

宿泊ランクが特別高いホステルの経営者が「マルコ、これ」と
渡してくれたのが八田與一のパンフレットだったのだ。
“そうだ調べに行こう”となった。


不思議な縁だ。だから連日の歩き回りで疲れていたが
自然と足が向いた。

 

紀念公園は広大で八田与一の記念館、公園や散策路、
ダムや梅林、野外調理場や大きな遊戯プール場などがある。


入口から目当ての記念館まで徒歩で20-30分かかった。

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         八田の住んでいた家

観光バスが数台停まって、人々は記念館と公園を散策していた。
ほとんどの客が台湾人で日本人はみなかった。

 

八田がどのような人だったのか、ビデオやパネルを
簡単にまとめてみた


そこには明治から昭和の激動期に彗星のように輝いた
温かなもの語りがあった。

 

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  ∞
小さな頃に金沢の坊さんに「人は平等」との説教をきいて育った。

大学では “ 人類にとって役立つことをしたい ” と志を抱き、
回りからそんな理想的なと誇大妄想家として笑われ、ばかにされたという。

八田を認めていた人から「お前は国外へ出たほうがいい」といわれ、
台湾総督府で活躍の場をみつけたが、水利計画を出しても理想的すぎると棚上げされた。


奇しくも米騒動が勃発、食料増産を余儀なくされた政府は八田の案を認めた。

 

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          台南の荒れ地

国家公務員の立場を自ら捨てて台湾の事業組合専属技師となり、
桃園大圳の水利工事、烏山頭ダムと灌漑水路として嘉南平野一帯に
16,000kmに及ぶ嘉南大圳を造り上げた。烏山頭ダム水力発電もしている。
曽文渓ダムも八田の設計によるもので、田畑を潤している。

 

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             豊饒の大地

八田は粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法を完成させ、
同時期に作られた他のダムが機能不全に陥っていく中、稼動続けている。

 

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           台湾型の池

八田技師は家の北側に台湾の形をした池を作った。そして仕事から帰宅すると
池をみながら工事の計画や進み具合について想いを巡らせたという。
それほどに台湾への思い入れが深かった。

 

作業員の福利厚生のため宿舎・学校・病院なども建設した。

 

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工事の事故や病気で亡くなった134名の慰霊殉工碑には、
八田技師の強い主張で国籍に差別なく一人一人の名前が刻まれている。

 

一方、高校を出たばかりの医者の娘を嫁に迎えて、八人の子宝に恵まれた。

 

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地元の人たちはこの夫妻を受け入れ親しみ尊敬した。

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         八田マラリアで高熱

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完成したダムを伴に眺め、妻の手を取り
「これはアジア最大、世界で三番目に大きいんだよ」といった。

 

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1942年、おりしも太平洋戦争で徴用されフィリッピンへ船で向かう途中、
米潜水艦に撃沈されこの世を去った。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201309010005.aspx
http://taiwanfuneral.com/NewDetail.php?Seq=2189

 

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         とよき像 今なお献花がある

その妻、外代樹(とよき)は、敗戦後の1945年9月1日、夫が
心血そそいだ烏山頭ダムの激しい「珊瑚飛瀑」といわれた
放水口に身を投じて夫の後を追った。


45才の若さだった。
それはダムの起工二十五周年記念日だった。

 

  ∞

総工費5,400万円の工事は、人々の身も心も潤す原資となった。

 夫は台湾をそして世界を愛し、妻はそうした夫を真心こめて愛した。
共涙をよぶ灯は、一隅を照らしつづけていた