千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 子への大悲   :高雄仏光山寺/台湾


蚊に起こされた明け方、高校時代の友人O君の顔が浮かんだ。
ミノルタで一世を風靡した、α-2000を開発したやつだ。

 

同じ洋弓クラブにいて、背が高く格段にうまい男だった。
マルコが長期入院しているとき、わざわざ見舞に来てくれた。

 

よもやま話をひとしきりして、
「息子がなぁ---」と言葉を濁らせたのが記憶にある。

彼はしばらくして死んだ。自殺だと聞いた。

 

佛光山寺で夢にでたO君はニコニコ笑っていた。
「息子が荒れて手がつけれんようになっていたんや。
 それで、ワシが死を持って更生するよう願った」

彼の顔は爽やかだった

 

こころを素直にする金子みすゞの詩を吾が父上は愛読していた。
マルコも大好きだった。

 

金子みすゞも自殺として片付けられている。違うなぁ

 

死の前夜、風呂に娘と楽しく入り、身を調えて
薬を飲んで死んだ。

夫との酷い軋轢から娘を護る、最後の手段だった。


これも自殺ではない。自分が苦しいから逃れるのではない。

己を滅して子を、という完璧な自己犠牲の極地である。


子への大悲 それが拡がると人々への大悲、
更には生きとし生きるものへの大悲へと
寛びろ世に満ちてゆく。

 

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