千 年 の み ち

“渡り鳥” が描く今と未来               たちばなマルコ

 アラーの恵み:同じ皿の飯   マレーシア


「一粒のなつめやしとね、コップ一杯の水で
 一日元気でおれるんだよ」

 

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遠くイランからで稼ぎに来ている彼は、
上物のナツメヤシを差しだして
マルコに説明してくれた。

 

「フゥ~ン こりゃうまいねぇ!」と
甘い物好きのマルコはおもわず口にした。


田舎のモスクでは小さな皿に入れたナツメヤシ
実を回しつついただく。

 

「アッラーが与えた食べ物 デーツdatesだよ」
聖なる干しなつめをありがたく味わった。

 


大皿の真ん中にはご飯がなだらかに盛られ、
回りにおかずや野菜が添えつけられる。
別の大椀にカレー風のスープが入っている。


時間が来ると、スープがご飯にかけられて、
右手指で器用に丸めて口に運ぶ。
幼いときからやっているので、みなさんは
こぼさずきれいに食べる。

 

マルコは不器用にボロボロ落としながら食べる、
というかひょっとこのように受け口にしていれる。
ま、口回りがべとべと、指もだ。
モスリム達は笑いをこらえ見ぬ振りしてる。

 

ご飯はうまいねぇ
おかずのチキンや魚もいけるやんか、キュウリが爽やかだ。

センベイもかりかり、緑豆のデザートも体にいい甘さ。

 

じっくり味わうから、マルコはいつも最後までもぐもぐ
口を動かせている。


Break Fastを静かに頂いたあと、
敬虔な礼拝と祈りをするのだ


その祈りの人々の間でマルコは、大いなるものの
ありがたい “み技” に身を委ねるのだった。

 

礼拝が終わると、お隣さん達と握手をしまくる。
その笑顔の交換は子らがみせる純朴の笑顔そのものだった

 

日本では
   同じ釜の飯を食う   という

ここでは
   同じ皿の飯を食う    のだ

 

指先で「これくえやぁ」とばかりに分かち合っての
ブレックファスト、
どんな人も家族なんだと動物的に納得してしまった。

 

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           同じ釜飯、皿飯