経の大唱和と礼拝を終えた後、一言も発せず大雄殿をでてゆく。
黄色の衣をまとった僧侶達が一列にすっと背筋を伸ばし歩む。
そのあと黒の法衣の信者たち、
最後に法衣なしのマルコ達が続いて列をなす
行き先は雲居楼という大食堂である
大切な修行である朝ご飯に向かうのだ。
朝いただくご飯(過堂)はひときわ荘厳、静粛な時だった。
そこには、テレビを見ながらかき込む食事はない。
人としゃべって騒がしくたべるのもない
荘厳な唱和がリーダーの法師によりおこなわれ、
数百人から二千人が一斉に相和す。
唱和のあと、箸の音がかすかにする静けさでおかゆなどを食す
対面する遠くの頭をつるりと剃った法師達は女人がほとんどで
小柄な人が多いせいか繊細で慎ましやかなしぐさだ
食はいつも精進料理で、「一菜一飯一湯的佛家簡餐」と言うらしいが
簡素な食事どころか、まさに体を養う(供養)するため、
ひいては仏の教えを精進するための旨くも貴いものだ。
これ程爽やかな時の味わいがあろうとは大発見だった。
粥座(朝食)、薬石(夕食)ともいうらしい。
事細かには解説でないので、次の動画を参考にしていただきたい
この厳粛で静かな過堂に緊張感はなく、粛々となされる。
私たちが日々の営みとする食事はともすると
義務感やめんどくさい雑事に追いやられる。
過堂での静寂の中でにあるのは体を想いやり、
溢れる恵みに感謝しながら食べるという感動が
日々深まりゆくだろう
佛光四句偈
慈悲喜捨遍法界
惜福結緣利人天
禪淨戒行平等忍
慚愧感恩大願心
佛光四つの眞詩
思いやりと悲しみの共感を胸に、喜びをもたらせて恵みを回す
福を大切にして佳き縁を巡らせば、天は人々を利す
閑かな純心は慎みの行いとなって、すべて等しき中に苦を忍ぶ
天に慚じるをふりかえり、慈愛を感謝し、心を大願でみたします
<Marco訳>